高知機関区で並んだキハ55268とキハ552。
キハ552にはタブレットキャッチャーは装備なし、
また、キハ44800形には助士席側にワイパーがない。
昭和55年4月2日 撮影。
2020年6月発行の「鉄道ピクトリアル別冊・国鉄型車両の記録・キハ55系気動車」。
四国に特化すれば、ほぼ参考にもならない記載ばかりで非常に残念・・・。
60頁では、四国配置のキハ55系について誤った記載や事実誤認がある。
四国に在籍したバス窓車は、キハ269・17・キハ552の3両が正しい。
また、キハ2617の窓枠はアルミではなく木枠であり、腐食防止での塗装。
キハ55系の木枠窓は主に九州で見られ、その改造経緯については全く不明、
ネット上では報告はあるものの、書籍で解説されたものはない。
今の所、キハ2617の他、キハ2611・15・キハ5543が該当するようだ。
キハ552については、毎回 「事故復旧〜云々」 とだけしか書かれていなく、
実際の事故に関して、未だに一切誰も調べて公開してくれない。(諦)
「終焉と廃車」も、かなり曖昧な記述であるので、
四国においての私の知る限り報告すると、
「キャンバス号」では、HMこそ 「さよならキハ55」 となってはいたが、
当初からあくまで、キハ552の引退イベントだと認識している。
その後も、キハ55266・269の稼働は確認しており、
実営業運転列車の最終稼働こそ不明だが、
昭和61年3月3日改正前日の内山線試運転列車が四国での最終実稼働と推測する。
その内山線試運転列車は、キハ55266+キハ58175(一般乗車可)で運転されたが、
改正後の回送措置(稼働か否か)については全く不明。
尚、この改正後の昭和61年3月に廃車になった、キハ55266・269の他、
徳島区のキハ26258についても、晩年の運用実績は全く不明。
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(記憶のDF50)