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< 平成19年2月4日〜平成19年2月24日 展示 >

昭和58年2月7日 吉野川橋梁を辻側から俯瞰の280レ単機。

吉野川橋梁を辻側から俯瞰、280レ

DF50を撮影する為に徳島本線の辻駅で下車した人はいるだろうか?

そう思いながら新たなる撮影地へ到達した。

天気・視界とも良好であったが、単機であえなく撃沈。

しかしながら、新たな撮影場所を発見した感動は大きかった。

後日訪問する機会があるも、前回のような好天気には恵まれなかった。

現在のこの周辺は徳島道が横断し、景観が激変してしまっている。



< 平成19年2月25日〜平成19年3月17日 展示 >

昭和55年3月1日 亀山にて撮影。

亀山区DF50さよなら運転

亀山区のDF50が元気な頃、DF50の人気はやはり紀勢線であった。

しかし、私は紀勢本線でのDF50をほとんど撮影していない。

撮影したのは紀勢西線入線時代の1度と、このさよなら運転の時だけである。

中途半端な駆け込み撮影に時間とお金をかけるより、

四国のDF50に撮影を集中させる方が得策と感じたからだ。

現在でもこの判断は間違いではなかったと確信している。



< 平成19年3月18日〜平成19年4月2日 展示 >

昭和55年3月11日 山崎〜高槻にて撮影。

EF60107+DF5024 四国回送

EF60107+DF5024 3483レ 四国転属回送。

亀山区のDF50が引退、四国転属の最終グループとなる4両が延命され四国に旅立つ。

事前に転属情報を入手し、「さよなら運転」を前に旅立った63号機を除き、

22・24・26号機の順で四国回送される姿を撮影できた。

撮影したデータ内容は、

22号機:亀山発送3月9日、1791レ DD51767+DF5022+FC

梅小路発3483レ EF6086+EF651+DF5022+DE10+FC

26号機:亀山発送、3月13日1791レ DD511041+DF5026+FC

梅小路発3483レ EF6099+DF5026+FC、であった。

尚、鉄道ファン2003年6月号(506号)には伝説の4重連回送の写真が掲載されているが、

この記事そのものの撮影データにはいくつかの誤りが見られる。

4重連回送の写真が57号機ではない事は手摺の大きさでも判断できる。

もちろん、本務機の番号や撮影年月日も違っている。


<2014・6・26追記>

さらに、「国鉄時代」Vol.38にも同じ類の内容でご寄稿されているが、

撮影データが、さらに違った内容に変化してしまっている。

本来、22号機の転属回送の写真日付が59号機の検査入場とされる写真と同じ日付であるし、

なぜか、鉄道ファンでの投稿写真の撮影データ(上記記載)の車両番号も違ってしまっている。

また、59号機の検査入場とされる写真は、

タブレット防護板が黒いので59号機で間違いなさそうだが、

64号機の検査入場とされる写真では、日付か車両番号(もしくは両方)が間違っているだろう。

なぜなら、1977年度の64号機における検査入場実績は10月ではなく7月だからだ。

揚げ足を取るような記載は心苦しいが、間違った内容は誰かが指摘しないと、

読む側には正しい内容として受け止められるのが実情だろう。

せっかく、貴重な撮影をなされているのに、撮影データが誤って公開され、

将来、DF50の記録実績が間違って語り継がれてしまうのは非常に残念な気持ちだ。



< 平成19年4月3日〜平成19年4月29日 展示 >

昭和56年3月22日 阿波池田に廃車留置のDF5063号機。

阿波池田廃車留置のDF5063

亀山区からのDF50最終転属グループであった4両の内、

22号機と63号機が意外にも短命で廃車となってしまった。

その中でも63号機はほとんど四国で遭遇する事ができなかった。

ゆっくりと撮影できたのは四国転入1年後の春、

既に阿波池田構内の片隅に廃車留置されていた時であった。



< 平成19年4月30日〜平成19年5月21日 展示 >

昭和57年5月1日 第二穴内川橋梁にて撮影。

DF5048+DF5062 271レ

GWの貨物運休に伴う重連運用のDF5048〔知〕+DF5062〔高〕牽引271レ

本務機DF5062・高松DLA201仕業、前総括DF5048・高知変DLA204−1仕業。

5月の連休では一部の貨物列車が運休になり、それに伴う機材の運用が必要になってくる。

DF50が重連になる日の情報を事前に収集して撮影に出かけた。

通常、高知DLA204仕業は前総括284レ、多度津から3862レ牽引となるが、

この3862レは5月1日が運休となるため、高知への回送措置として多度津を折り返し

271レ前総括運で高知へ帰る運用となった。

また、貨物列車運休中の機材を確保するため、高松区では臨DLA1301〜4仕業を、

(高松発5/3日 臨DLA1301・5/4日 臨DLA1302・5/5日 臨DLA1303・5/6、7日 臨DLA1304)

高知区では高知発5/2日 臨DLA911仕業を仕立て、

高松臨DLA1301仕業、177レ高松→松山と

5月2日発高松変DLA201−1仕業、3862レ多度津→高松、

高知臨DLA911仕業、270レ高知→多度津が前総括となり定期外の重連運用となった。


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記憶のDF50


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