− 51年の歴史に終止符 −
page2
宇野から一往復後、車で瀬戸大橋を渡り、高松港へ。
高松港14:30発の最終便へ乗り込みました。
朝の宇野港では晴れ間も見えていたものの、
最終便の時間には涙雨となってしまいました。
出航10分前の「こくどう丸」船内。
にぎやかな船内とはなりましたが、
乗船客はそれほど多くはありません。
高松港出航間際の「こくどう丸」。
混乱もなく出航の時を待ちます。
旅客搭乗橋から「こくどう丸」。
出航の合図ともに旅客搭乗橋のゲートと船体の扉が閉鎖。
宇野港到着ではそのまま船内にとどまらさせて頂きました。
折り返し船内残留組はごく僅かでした。
「こくどう丸」船内売店。
宇野港停泊中に船内散策。
宇高国道フェリーのドライバーズルームを見るのも初めてでした。
「こくどう丸」の脱出経路図。
「こくどう丸」の浴室。
中・長距離のフェリーの乗船では必ず入浴していたが、
短距離の宇高国道フェリーでは入浴した事はない。
「こくどう丸」プロムナードデッキ。
全盛時代は、展望デッキや噴水も装備したフェリーもあり、
1時間という短い航海ではありましたが、豪華な設備でした。
宇野港の乗船が開始され、最終便出発間際。
それでも混雑や混乱はありませんでした。
鉄道関連とは雲泥の差です。
いよいよ最終便が宇野港を出港、
関係者の方々が可動橋より紙テープでお見送り。
可動橋以外でも宇野港ではたくさんの人がお見送りをしました。
高松港到着、最後になる航海を終えた「こくどう丸」。
宇野港出発後は短い間ではありましたが、うどんを食べたり、
ゆったりとした時間を楽しみました。
終航後は車両甲板にて、関係者のみで花束贈呈式が行われました。
それでも、あの人は本当に関係者?、と思われる人も乱入していました。
セレモニーが終了し、静けさが戻った車両甲板。
1年間の休航であったが、さらに休航期間を延長。
現在でも休航中のままであり、会社の存続も未だ報道されていない。
TOPページへ
(記憶のDF50)