宇高連絡船の記憶

    − 晩年の宇高連絡船 −



    讃岐丸の浮き輪

    「讃岐丸」に艤装されていた浮き輪。

    JR化までの国鉄時代の船籍港は東京であった。

    昭和61年8月18日、高松港発上り便にて撮影。


    四国に縁ある者にとって船と言う乗り物は欠かせなかった。

    その中でも宇高連絡船はとても重要な位置にある交通手段であった。

    しかし、瀬戸大橋の開通で78年の歴史にピリオドを打つことになる。


    DF50と言う撮影対象がなくなった頃の出来事でもあり、

    短い間ではありましたが、この宇高連絡船を撮影対象としていた時期がありました。

    ほとんど宇高連絡船の晩年の時代ですが、

    少し珍しい写真もありますので順次公開して行きたいと思います。

    記載した内容に関しましては、参考文献を記載しているもの以外はすべて、

    管理者と管理者の友人が独自で調査した内容であります。


    尚、私事ではありますが、私は昭和62年に四級小型船舶免状(現二級)を取得しており、

    船舶に関する知識も多少なりとも持ち合わせております。


    − 宇高連絡船とDF50 −
    宇高連絡船とDF50を絡めた撮影。

    − 直島からの撮影 −
    宇高東航路航行の連絡船。

    − 宇高連絡船・国鉄最後の航海 −
    国鉄最後の日の宇高連絡船。

    − 宇野港俯瞰 −
    宇野入出港の連絡船。

    − 宇高連絡船最後の日 −
    客貨航送の終焉。

    − 宇高連絡船売却離岸 −
    「阿波丸」「土佐丸」「伊予丸」 最後の出航。

    − 讃岐丸最後の航海 −
    観光船の終焉。

    − 補助汽船 「たまも丸」 −

    − 「鷲羽丸」 船名板 −



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    記憶のDF50


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