DF50車歴の謎


DF50の車歴には不明な部分が数多い。

特に新製初期の頃の車歴は複雑を伴い、移動月日さえ不明となっている車両もある。

DF50が新製された頃は、鉄道愛好家の数も少なかったであろうし、

このようなデータを記録し、収集するという行為自体がされていなかっただろう。

実際、DF50に限らず、鉄道愛好家による車歴調査は困難を究めているようだ。

車歴調査において収集元となるのは、

鉄道雑誌の巻末に掲載されていた、「車両の動き」に類する資料、(鉄道公報からの引用か?)

鉄道雑誌においてDF50を特集として掲載された車歴、そしてDF50の車体車歴簿がある。

DF50の車体車歴簿のお話は後回しにして、過去に鉄道雑誌に掲載されたDF50の車歴は、

100%同じデータは存在しておらず、必ず何らかの食い違いが生じている。

本来、新製年月日やそれぞれの転属年月日の実績は一つしか存在しないわけだが、

どうして複数の資料が多数存在してしまうのであろうか。

新製・転属・廃車年月日の定義、認識の問題もあろうが、さらに混乱をきたしているのは、

おそらく、資料の誤記、転載ミス、誤植や資料の校正もれなどがあげられる。

実際の元データから、一般人に見られる間に数回転記され、

伝言ゲームの如く、誤った内容で伝わってしまったのだろう。

また、雑誌編集においては締め切りに追われるせいか、

確実にその内容をチェックされているかは疑問であるし、

誤植・誤記においては全くフォローできていないのが現状だ。

車歴作成において、内部資料であるDF50の車体車歴簿で作成するのが一番なのだが、

138両のDF50の車体車歴簿を見るのはもはや不可能となっている。

ただ、とある機関車のサイトでは車体車歴簿でさえ怪しい部分があるという報告さえ存在する。

車体車歴簿は、その車両が他の鉄道管理局に転属した場合、

概ね、新しいものに作り変えられてしまうのも原因の一つだろう。

したがって、現段階ではDF50の車歴が大変混乱しているので、

当サイトでは数ある資料からクロスチェックをし、

DF50の車歴の謎をさまざまな角度から考察してみた。

尚、あくまで事実究明の手がかりを模索し、

今後の安易な転載による混乱を見極める為に作成しておりますので、

単に各参考資料の誤記・誤植などを指摘する為ではありません。

あらかじめお断り申し上げておきます。


(表1) DF50の車歴が掲載されている資料

掲載資料
備考
鉄道ピクトリアルNo349号
99頁〜「質問に答える」の回答
鉄道ジャーナルNo154号
新製年月日及び、T氏による九州地区の移動
レイルロード社国鉄DF50Vol.2
交通科学館所蔵による亀山区在籍の一部車両の履歴。
レイルロード社国鉄DF50Vol.3
I氏による米子区在籍の移動及び、S氏による全体的な移動
レールガイ29号
O氏による掲載当時に在籍していた亀山区の新製配置・移動
レールマガジン301号付録CD−ROM
機関車表 国鉄編2
機関車全機種から船舶にも及んだ膨大な記録。
機関車表フル・コンプリート版DVDブック
RM付録、機関車表 国鉄編2をさらに拡大したフル・コンプリート版

<鉄道ピクトリアルNo349号>
初期の部分でかなりの移動欠落や年月日の誤り多数でクロスチェックとしての機能不可。

<鉄道ジャーナルNo154号>
新製年月日のみ記載、他資料との相違・不明点な合致あり。
T氏資料の宮崎での廃車他、他資料と相違部分あり。

<レイルロード社国鉄DF50Vol.2>
本来、車体車歴簿での記載が確実かとは思われる。
所蔵車歴簿自体の間違い、レイルロード社での転載ミス・誤植・校正もれはないか。
本来の車体車歴簿から転載された交通科学博物館所蔵資料なのか。
(これらの車歴簿には違った車両番号の頁がファイリングされているものがある。<2017・6・10追記>参照。)
秋田区・亀山区での配置の変遷もあり。

<レイルロード社国鉄DF50Vol.3>
I氏資料は元職員でもあり、最優先するべきかと思われるが、他資料と相違する部分が多すぎる。
どこから記録収集した資料なのであろうか。
S氏資料の参考にした「車両の動き」に類する資料の信頼性はどうか。
         参考:四国配置になったDE101005号機の配置場所について(解決済み。)
新製配置から初期の移動で他資料と相違する部分あり。
他、S氏資料による大分・宮崎区の配置変遷あり。

<レールガイ29号>
亀山区末期に配置されていた車両のO氏資料。
製造年月日・配置移動に他資料と相違する部分あり。

<レールマガジン301号付録CD−ROM・機関車表 国鉄編2>
「機関車表フル・コンプリート版DVDブック」と、同じものとして考察。

<機関車表フル・コンプリート版DVDブック>
レールマガジン301号付録CD−ROM「機関車表 国鉄編2」を、さらに拡大したコンプリート版。
DF50の車歴に限って言えば、個人で閲覧できる範囲内での車歴調査は、
この機関車表での公開以前に、既に最終局面を向かえている。
DF50の車歴をまとめた参照先は、「レイルロード社国鉄DF50」を最優先させるべきであり、
このDVDの誤った内容がネットや雑誌に上書き転載さないか危惧する。
前回のRM付録機関車表 国鉄編2と比べて、多少の修正があるものの、
若干の事故記録が書かれている以外は真新しいものではなく、
誤記などの調べればすぐに分かる物に対しての修正はない。
当サイトのポリシーとして、DF50の基本的な内容は記さないが、
今後、誤解が生じると思われる箇所にはこちらで正しい内容を記入した。
くどいようですが、ここではあくまでDF50と言う1車両のみを考察しています。
「機関車表フル・コンプリート版DVDブック」におけるDF50以外の記載内容については、
一切確認しておりませんので、今後車歴調査なされる方は、
今一度過去の資料をご自身で調べ直す事をお勧めします。
そうすれば、膨大な資料の中での車歴調査の大変さを実感する事と思います。



(表2) 番号別車歴相違対照表

 相違部分のみ抜粋してあります。
あきらかな間違いに関しては対照表示していません。

車番相違部分相違内容
DF50 1敦賀→長野への転属月日RM、9/30(9/23?)・S氏、23日
DF50 1長野→米子への転属月日RM、7/14(7/16?)・S氏、14日・I氏、16日
DF50 2新製日S氏、RJ、RM、22日、RR社車歴簿、31日 (記1)
DF50 2長野→米子への転属月日RM、8/11(8/4?)・S氏、I氏、11日
DF50 2米子→高松への転属月日RM、7/20(7/30?)・S氏、I氏、20日
DF50 3新製日S氏、RJ、22日・I氏、RR社車歴簿、26日・RM、製造26日竣工22日
DF50 3米子→敦賀への転属月日RM、9/30(10/1?)・S氏、I氏、30日
DF50 3長野→米子への転属月日RM、7/17(7/18?)・S氏、17日・I氏、8日
DF50 4新製日I氏、20日・他資料、17日・RM、製造20日竣工17日
DF50 4長野→亀山への転属月日RM、8/30(8/27?)・S氏、27日
DF50 5新製日I氏22日・S氏、RJ、O氏、17日・RR社車歴簿、21日・RM、製造4/13竣工5/17
DF50 5米子→敦賀への転属日I氏17日・RM、S氏18日
DF50 5長野→亀山への転属月日RM、8/27(8/30?)・S氏、30日
DF50 6新製日RM、製造11日竣工21日・他、21日
DF50 7新製日RM、製造25日竣工30日・他、30日
DF50 8新製日I氏25日・RM、S氏、RJ22日
DF50 8米子→高松への転属日I氏24日・RM、S氏25日 RMは(24?)も記載
DF50 9長野→高松への転属月日RM、9/26(9/27?)・S氏、26日
DF50 10敦賀→米子への転属月日I氏、1月22日・RM、S氏12月のみ日付不明 (記2)
DF50 10米子→亀山への転属日I氏、11日・RM、S氏、日付不明 (記2)
DF50 12新製日RM、製造1/4日竣工1/19日(2/19?も記載)・他、2/19日
DF50 13新製日S氏、RJ、20日・RR社車歴簿19日・RM、製造1/20竣工2/20
DF50 14米子→亀山への転属月日RM、2/24・S氏、I氏、6/23
DF50 15米子→亀山への転属日RR社亀山区変遷、20日・他資料、6日
DF50 16新製日RM、製造14日竣工3/00日・他、14日
DF50 16米子→亀山への転属月日I氏、7/14日・RM、S氏、RR社車歴簿、7/20・RR社亀山区変遷、6/23
DF50 17新製日RM、製造25日竣工29日・他、29日
DF50 18最終配置場所RM、高松(高知?) (初歩的な問題です。記11)
DF50 22米子→高松→亀山RM、高松は不要な記述
DF50 23米子→亀山への転属月日RM、1958/12/00・S氏、I氏、1/7
DF50 25新製日I氏、5日・他資料、9日
DF50 25高松廃車日RM、5/1(5/20?)・S氏、1日
DF50 26新製日I氏、5日・他資料、25日
DF50 26米子→亀山への転属日RM、I氏、O氏、RR社亀山区変遷、15日・S氏、RR社車歴簿、5日
DF50 26高松廃車年RM、1981 (あきらかな誤記入・同DVD、三代事故録には正しい記録の記載あり)
DF50 272度目の高松→高知への転属日RM、11日・S氏、5日
DF50 28高松→高知への転属日RM、5日・S氏、10日
DF50 28最終配置場所RM、高知 (車歴簿作成上のミスと思われる。)
DF50 29新製日RM、製造29日竣工25日・他、25日
DF50 30米子→大分への転属日I氏、3/1・RM、S氏、O氏、RR社車歴簿、2/3・T氏、欠落
DF50 32新製日RM、製造12/00日竣工12/2日・他、12/2日
DF50 32新製配置場所RM、亀山・RR社車歴簿、高松・他資料、米子 (記3)
DF50 37高松廃車日RM、12/23(12/13?)・S氏、13日
DF50 38亀山→高松への転属日RM、27日・S氏、29日
DF50 41高松廃車日RM、9日・DVD、修正・S氏、19日 (記4)
DF50 42米子→亀山への転属日I氏、22日・RM、S氏、RR社亀山区変遷、25日・RR社車歴簿、記載なし
DF50 42亀山の廃車年RM、1973年 (あきらかな誤記入)
DF50 44最終配置場所RM、高知 (車歴簿作成上のミスと思われる。)
DF50 47高松→高知への転属日RM、欠落
DF50 48新製日I氏、RJ、25日・RM、S氏、24日
DF50 48高松→高知への転属日RM、10日・S氏、7日
DF50 49新製日I氏、RJ、25日・RM、S氏、O氏、24日・RR社車歴簿、23日
DF50 49米子→亀山への転属日I氏、40/10/9・S氏、O氏、RR社亀山区変遷、39/10/11・RM、RR社車歴簿、39/10/10
DF50 50配属;天王寺局→配置;亀山RM、不要な記述
DF50 51新製日RM、製造5日竣工15日・他、15日
DF50 51米子→高松への転属日RM、12日と16日がダブリ。 (50号機の移動を記録したと推測する)
DF50 52米子→高松への転属日RM、I氏、6日・S氏、5日 (6日が正しいと思われる)
DF50 54新製日I氏、4日・他資料、2日
DF50 54米子→亀山への転属RM、1963/1/13亀山→(年月日なし)米子→(年月日)亀山 (記5)
DF50 55新製日I氏、6日・RM、S氏、RJ、16日
DF50 56高松廃車日RM、10/01(10/6?)・S氏、6日
DF50 57米子→亀山への転属日I氏、24日・RM、S氏、RR社亀山区変遷、27日・O氏、RR社車歴簿、26日
DF50 59米子→亀山への転属月日RM、10/10(10/11?)・S氏、I氏、11日
DF50 59四国での配置RM、亀山→高松→(日付有)高知→高松→(日付有)高松廃車 (高知は不要な記述)
DF50 60新製日RM、製造29日竣工30日(29?も記載)・他、29日
DF50 60米子→高松への転属RM、1967/11/7/12が高松・米子ダブリ。 (車歴簿作成上のミス。)
DF50 61高知廃車日RM、9日・DVD、修正・S氏、19日 (記4)
DF50 62新製日RM、製造1/00日竣工1/20日・他、20日 (0→2の間違いか?)
DF50 63新製日RM、I氏、S氏、RJ、20日・O氏、9日 (記10)
DF50 63米子→亀山への転属日I氏、28日・RM、S氏、O氏、RR社亀山区変遷、31日 RMは(8/1?)も記載
DF50 64米子→亀山への転属日I氏、28日・RM、S氏、O氏、15日
DF50 503新製日I氏、26日・RM、S氏、RJ、20日
DF50 503秋田→大分への転属日RM、1973/10/29・S氏、T氏、1966/8/1
DF50 503宮崎廃車日RM、10/25(10/26?)・S氏、T氏、25日
DF50 506宮崎廃車日RM、20日・S氏、T氏、30日
DF50 508米子→秋田への転属月日昭和37年度という以外、全ての資料において不明 (記6)
DF50 508秋田→大分への転属日S氏、3日・RM、T氏、8日 RMは(9/21?・1973・10・29)も記載
DF50 508米子廃車日RM、1975年のみ記載(欠落)
DF50 509米子在籍I氏の資料で米子在籍が欠落
DF50 509秋田→大分への転属日RM、4日・S氏、T氏、21日
DF50 511富山→米子への転属日I氏、20日・RM、S氏、21日
DF50 512富山→米子への転属日I氏、28日・RM、S氏、29日
DF50 513富山→米子への転属日RM、10/3(10/4?)・S氏、I氏、3日
DF50 513高知→高松への転属日RM、10/15(10/10?)・S氏、10日
DF50 514富山→米子への転属日RM、10/4(10/5?)・S氏、I氏、4日
DF50 516新製日RM、製造15日竣工14日・他、15日
DF50 516敦賀→富山への転属RM、敦賀→秋田 (誤記入)
DF50 520高松→高知への転属日RM、23日・S氏、27日 (23日が正しいと思われる)
DF50 521不明な記述RM (記7)
DF50 521秋田→大分への転属日RM、8日・S氏、T氏、9日
DF50 521大分→米子への転属日RM、9/25(9/26?)・S氏、T氏、I氏、25日
DF50 522新製日RM、製造31日竣工21日・他、21日
DF50 522米子→秋田への転属月日RM、4/00 (記入漏れか?)
DF50 522秋田→大分への転属日RM、8日・S氏、T氏、12日
DF50 522大分→米子への転属日RM、9/24(9/26?)・S氏、T氏、I氏、24日
DF50 523米子→秋田への転属日I氏、22日・S氏、RR社秋田区変遷、24日・RM、5/00
DF50 523秋田→大分への転属日RM、10/3(10/5?)・S氏、T氏、3日
DF50 523宮崎廃車日RM、S氏、29日・T氏、27日
DF50 524新製日RM、製造23日竣工23日・他、24日
DF50 524秋田→米子への転属日RM、7/26(7/27?)・S氏、I氏、26日
DF50 524米子→高知への転属日I氏、25日・RM、S氏、24日
DF50 528高松配置RM、米子→高松→(日付有)廃車;高松 (あきらかな誤記入)
DF50 531宮崎廃車月日RM、S氏、2/7日・T氏、5/7日
DF50 535新製配置場所RM、高松(高松から高知への転属年月日は記載なし)・他資料、高知
DF50 537新製配置場所高松か高知か再検証 (記8)
DF50 537高松⇔高知の移動RM、配置;高松→1960/1/25高知→高松→ (記9)
DF50 537高松⇔高知の移動DVD、追記:高知→1964年高松 (記8:月日も公開)
DF50 539新製日RM、製造25日竣工29日・他、29日
DF50 539秋田→米子への転属日I氏、2日・RM、S氏、RR社秋田区変遷、3日 RMは(8/4?)も記載
DF50 541富山→秋田への転属日RM、10/13(10/14?)・S氏、13日
DF50 541秋田→大分への転属日RM、9/26(9/27?)・S氏、T氏、26日
DF50 542富山→秋田への転属日RM、10/13(10/21?)・S氏、13日
DF50 542秋田→大分への転属日RM、S氏、RR社秋田区変遷、8日・T氏、7日
DF50 542大分→宮崎への転属月日RM、4/26(5/2?)・S氏、T氏、4/26日
DF50 543新製日RM、製造23日竣工25日・他、25日
DF50 547秋田→米子への転属月日RM、9/23(10/6?)・S氏、I氏、10/6日
DF50 547高知配置RM、米子→(日付有)高知→宮崎→ (車歴簿作成上のミスか?)
DF50 547宮崎廃車日RM、S氏、29日・T氏、27日
DF50 558新製日RM、製造12/1日竣工10/17日・他、12/1日
DF50 558秋田→高松への転属日RM、12/2(12/1?)・S氏、2日
DF50 559秋田→米子への転属日RM、10/2(10/4?)・S氏、I氏、4日
DF50 560宮崎廃車月日RM、S氏、2/7日・T氏、5/7日
DF50 563宮崎廃車日RM、S氏、29日・T氏、27日
DF50 566新製日RM、S氏、17日・RJ、11日
DF50 568新製日RM、製造11/00日竣工11/30日・他、11/30日 (0→3の間違いか?)
DF50 568米子廃車日I氏、29日・RM、S氏、28日
DF50 569新製日RM、製造7/18日竣工9/18日・他、9/18日 (7→9の間違いか?)
DF50 570新製日RM、製造7/28日竣工9/28日・他、9/28日 (7→9の間違いか?)
DF50 572高松廃車年RM、1981 (誤記・廃車年月日は26号機と同じ)

記1:RR社車歴簿では31日となっており、本来の数字なのか、誤記・誤植なのか。

記2:10号機の移動は以前より謎であった。
    早期に事故廃車となった為、本来の車体車歴簿さえ存在しないと思われる。
    その不明であった部分がI氏の資料では明確な日付が記載されている。
    しかし、敦賀→米子への転属月日が、I氏とS氏で一ヶ月も開きがあるのはなぜであろうか。

記3:32号機の新製配置は高松か、米子か。
    32号機の新製配置は以前の資料ではすべて米子と書かれていたはずだ。
    RR社車歴簿引用では確かに高松と書かれており、これが正解とすれば
    数ある米子在籍の資料はどうして記録されたのであろうか。
    考えられる事は、車歴簿の写し?自体が間違っている、
    高松配置になる所が(もしくは長短期間高松配置)急遽米子配置になり
    車体車歴簿の書き換えがなされなかった、
    米子へ貸し出し扱いされているのを新製配置と勘違いし、
    そのまま亀山区へ転属した、等が考えられる。
    いずれにせよ、四国で撮影された32号機の写真でも
    見つかれば何か手がかりになるのだが・・・。

<2017・6・10追記、旧交通科学博物館所蔵の「亀山区車歴簿」>
    交通科学博物館の閉館間際の話では、電子化するために全てどこかへ移動させたとの事で、
    電子化できたものがあるのかどうか、京都鉄道博物館の図書室を訪問した。
    しかし、資料の電子化を業者に任せているそうで、かなり進捗が遅れているそう。
    普段は閲覧できないそうだが、「折角来ていただいたので特別に」という事で見せて頂いくも、
    書庫にあったのは、13号機と14号機の2両のみしかないそうで、それ以外はわからないとの事。
    とりあえず、四国に配置されていた13号機を重点的に見てみると、
    明らかに他の車両番号の頁がファイルされており、
    移動履歴が本来の物と全く違ってる事に驚いた。(14号機も同様)
    現在でもこの車歴簿のファイルは簡単に差し替え可能な状態であり、
    おそらく、一度どこかで離散した頁を適当にファイリングした可能性がある。
    RR社車歴簿引用での32号機の新製配置が高松配置と書かれているのは、
    誤ってファイリングされた車歴簿の頁を確認せず記録したとも考えられる。
    ただ、この図書室では、コピーや書き写しも禁止されており、
    さらに詳しい内容を精査できないのがとても残念。
    貴重な資料のある図書室の窓口が若い女性でもあり、
    これ以上話をしても無駄だと思い、ストレスだけ持ち帰り帰宅した。
    このまま電子化されても全くの無駄であるのだが、
    なによりも、車両展示という、「見せかけ」だけの保存しかできないのがとても残念である。

記4:当時の雑誌の巻末の資料では、41号機と61号機の廃車は9日と書かれてあったが、
    これは誤報であり、レイルロード社S氏の日付が正しい。
    雑誌巻末の記録が誤発信している一例。

記5:53号機の移動を記録した為、混乱したと推測する。

記6:I氏の資料でさえこの部分は判明していない。
    秋田へ貸し出しされ、そのまま転属とされてしまったのであろうか。

記7:米子から秋田へ転属後、
    →(日付)借入?;山形→返却?→(日付)小倉工場入→(日付)大分
    と記載されており、何を引用したのであろうか。

記8:現在公開されている車歴では高松新製配置なのだが、
    四国総局での記録・集計されたと思われる資料では、
   (累積走行キロや工車も記載、45号機の累積走行キロは除く)
    新製配置は高知となっており、昭和39年10月3日に高松への転属記録の記載がある。

<2012・12・7追記>
記9:RMにて高松→1960/1/25高知と記載されているのは、
    昭和53年の高知配置の記録を誤って昭和35年(1960)と解釈したと思われる。

記10:一見すれば9日は誤記と考えられるが、
     当時の四国総局職員氏が集計した二つの簡単な履歴表(頂いた日時・記録した人はそれぞれ別)には、
     63号機の新製年月日はどちらも昭和37年3月9日と記録されており、誤記の合致としては偶然すぎる。
     車体車歴簿には何らかの形でこの日付の記載があると思われる。
     デフォルトとされている年月日が、車体車歴簿の確認により変化するかもしれない一例。

<2016・4・23追記>
記11:当時のDF50を見守った者の一人として、あまりにも初歩的な事と思っていたが、
    最終配置が高松であるという内容が蔓延している事に対して大変不本意に感じている。
    この誤った蔓延は、「機関車表 国鉄編2」の大々的な宣伝にも関係があるだろうが、
    何よりも当時を実体験している世代にもかかわらず、誤発信を続けている例があるからだろう。
    ネットの誤配信には悩まされるが、反面、この先永久に誤発信を続ける鉄道出版業界より、
    ネットだと修正は簡単にできるのが利点。
    このような誤配信は、誤ったDF50の歴史を未来に残さないために、
    一刻も早く修正して頂きたいものである。



(表3) 車歴に関連する特記事項

車番特記事項
DF50 28昭和52年頃、高松から亀山区へ貸し出されていた。35号機の車両火災とお召運転が重なった為か。
DF50 45四国に新製配置された頃、長野区に貸し出された実績がある模様。
DF50 43・47四国総局での書類上の廃車は高松か? (記1)
DF50 516四国で前面補強取り付け後、米子区に貸し出された実績がある。 (記2)
DF50 557RR社Vol.3とその写真によれば秋田から高松転属前に米子に貸し出されていたようだ。
DF50 569事故廃車

・新製当初では各地での貸し出し扱いが車歴の混乱に影響しているかも知れない。
・高松⇔高知での貸し出しは頻繁に行われていた。
・昭和50年より以前、四国ではみかん臨の運用で各地区より貸し出し車両があり、
 かなりのカマ番の入線実績があると聞いた事があるが、
 それに関連した写真は見た事もないので詳しくは不明である。

記1:当時の四国総局職員氏が集計した簡単な履歴表では、
    昭和59年3月31日に、高知から高松配置と記録されている。
    実稼働での43号機と47号機の最終配置は高知区であるが、
    高知区の機関車・気動車は昭和59年2月に高松運転所に集約配置された為、
    この2両も四国総局の書類上、高松配置とされても納得はできる。
    今後さらに調査。
   (昭和59年2月のダイヤ改正で高知機関区は客貨車区と統合して高知運転区に改称。)

記2:大阪駅上り10番ホームで撮影された前面補強付の516号機の写真を発見。
    牽引列車や牽引客車は写真では判断できず。
    レイルロード社国鉄DF50Vol.4によれば、
    DD54修繕入場を補うために一時使用されたと記載されている。



<参考:国鉄借入DLの製造年月日について>

以前より、国鉄借入DLであるDF41の製造年月日について疑問があったので、
すべての国鉄借入DLの製造年月日を再検証すれば、下記4両において、
資料によっていくつかの食い違いが見られましたので書きとめてみました。

・DF41→DF92(汽車会社)
再検証するきっかけになった車両である。
1958年(昭和33年)5月のA.R.C.(アジア鉄道首脳者懇親会)に車両展示されているにもかかわらず、
ほとんどの資料において、製造は1959年(昭和34年)と書かれてあるのは何故であろうか。
国鉄借入年が新製年と扱われた過去の資料があったのかも知れないが、
製造銘板には製造番号の記載こそないが、故・奥野利夫氏の撮影なされた写真には、
上から「KISHA SEIZO」「TOYO DENKI」「MITSUI ZOSEN」
の3社連名銘板であり、確かに「JAPAN 1958」と書かれている。

・DD40→DD92(新三菱)
「日本製機関車製造銘板・番号集成」では1954年(昭和29年)製造とされているが、
一部の資料では国鉄借入年と同様の1956年になっている。

・DF90(日立)
ほとんどの資料には1956年(昭和31年)新製年とされているが、
「日本製機関車製造銘板・番号集成」では1953年(昭和28年)製造とされている。(製造番号191260-1)

<2012・11・26追記>
「日本製機関車製造銘板・番号集成」及び、これをほぼ踏襲する、
「レールマガジン301号付録CD−ROM・機関車表 国鉄編2」も
同じように1953年(昭和28年)製造と記載されているが、
友人の情報によれば、富士製鉄納品(室蘭)DE11(1953年3月製番191070-1)
と混同されているのではないかと報告があり、「日立評論」(昭和28年5月号)に
その謎を解く紐解きが掲載されているとの事で、
製造番号の開きを考えれば、「日本製機関車製造銘板・番号集成」の誤植と考えられる。

・DD42(日車)
この車両も製造年がいまだに各資料によってバラバラであるが、
最近まで存在した車両であったので詳しく調査されているようである。
最新情報では1955年(昭和30年)9月製造とされているが、引用元は不明である。(日車史か?)
「日本製機関車製造銘板・番号集成」では、
DD42の国鉄借入時代(名古屋)に撮影された製造銘板の写真が掲載されており、
その楕円形銘板には昭和32年の文字があり、製造当時製番未決定とされ製番の記載はない。
鉄道雑誌やネット上では恰も、昭和30年に製造番号を付与されたように記載されているが、
常総へ納品決定の昭和33年に製造番号が与えられている。
(つまり、正式に商品として認められ、製品納入したという事。)
常総DD90の製造銘板は長方形銘板に変えられたようだが、
その記載内容は渡辺氏も確認していないそうである。

・DF93(日立)
この機関車の製造年は1960年ですべて一致しているのだが、
「日本製機関車製造銘板・番号集成」をほぼ踏襲する、
「レールマガジン301号付録CD−ROM・機関車表 国鉄編2」によれば、
「1957年日立試作→1960年製造で書類上はこうなっているらしい」と記載されている。
DF93の製造番号の前後が1957年製であると考えれば、これは正しいと思われる。
DD42とは逆パターンで早めに製造番号を与えたのではないだろうか。

・付録:DF91(T)(日立)
台湾輸出用に製作され、短期間国鉄で試用された機関車であることはご承知の通り。
同期間に10両製作されている事はあまり知られていないようだ。(翌年にさらに2両追加製造)

総括
これらの機関車はメーカー独自の試作車両で在るがため、
正式な製造年月日そのものが存在しないかもしれない。
現に、DF41・DF93・DD93は「日本製機関車製造銘板・番号集成」に、
製造年の記載はあるが、月の記載はない。
現在では製造番号で概ね製造年の特定はできるようになってきたが、
いまだに製造年が各資料において食い違っているのは、
やはり研究者が存在しないせいであろうか。
それを証明すべく、引用先の元を調査していけば、ガイドブックの先駆けでもある
「国鉄ディーゼル機関車ガイドブック・寺山巌編」にたどり着いた。
当時としてはこのような借入車についての正しい情報はなかったであろうが、
1972年(昭和47年)発行の記録が現在でもここの転載により一人歩きしているのが現状のようだ。
つい最近でも、レールマガジン301号・日本の機関車特集80頁の試作機の系譜図には、
DF91(DF40)の廃車が昭和46年となってしまっている。
21世紀も十数年経っているにもかかわらず、このような記載をされているのには、
笑い話にもならない。呆れてしまう。


<おわりに>

すべての鉄道車両において、車歴というのは鉄道会社の内部資料である。

その内部資料に対して鉄道愛好家がまとめて公表するのは非常に難があると思われる。

今後も鉄道愛好家による車歴発表があるかと思われるが、

一体どこから資料を引用したのかは明記してもらいたいものだ。

前書きにも記したが、本来、車歴調査は車体車歴簿を確認できれば一番なのだが、

国鉄内部資料なので一般には拝見できない資料だ。

もし、全車の車歴簿が確認できれば、

現在のデフォルトとされている日付なども変わってくるかもしれない。

また、車歴調査というのは資料の数字を追うだけでは不完全であり、

その車両の運用実績を正しく把握していなければならない。

幸いにも、DF50活躍末期の四国においては、当時の国鉄職員氏や友人の協力もあって、

当時の記録はほぼ完ぺきに抑える事ができ、誤発信も容易に判断できた。

DF50の車歴は今後も正確な資料で統一される事はないであろうが、

完全に誤った記録が一人歩きし、後世に伝わってしまうのは、

DF50の末期を見届け、記録してきた者にとって非常に心苦しい。

せめて資料によってDF50の車歴が食い違っている事だけでもお解かりになれば幸いかと思います。


2008年10月2日 追記
2008年9月16日 追記
2012年11月26日 追記
2012年12月7日 追記
2014年10月15日 再編
2016年4月23日 追記
2017年6月10日 追記


形態の謎

DF50の謎トップへ


TOPページへ
記憶のDF50


inserted by FC2 system