以下の記事は公開時に編集した内容です。
信用ある方の資料提供によりまして、118号機の高知転属実績が確定、
よって、1005号機の高知転属は誤報である事も確定しました。


参考:四国転入のDE101005号機

DE101005号機は、DF50の第二次置き換えとして盛岡より昭和57年12月2日に四国配置となっており、
転入区は鉄道雑誌の巻末に書かれていた高知が鉄道趣味業界での車歴となっている。
当時はこれに対して何ら疑問を感じることはなかったが、これは誤報ではないであろうか。
まず、高知への転入が書かれていたものの、高知から高松への転属記録はない。
私自身、阿波池田留置後に高知へ移動したという気配さえ感じられなかった。
最近になり、所蔵の資料で転入記録は見つからなかったものの、
DE101005号機の一休車指定が12月6日付、区所高松となっていた。
鉄道雑誌3誌の記載が高知になっていた事を考えると、鉄道雑誌出版社に送られた元資料が、
どこかで高松から高知と伝わったか、発信元が誤記していたと考えられる。
同じDF50の第二次置き換え車のDE10100〜の6両が同じ盛岡配置から高知転属であった為、
1005号機も同じ高知転属と誤記されたのかも知れない。
このような誤信や誤記は鉄道雑誌巻末の資料ではかなり多いのではないかと推測する。
過去に鉄道ファン誌では、DF50513・514の廃車が「高崎」と書かれていたが、
明らかに誤記か誤植であり、こちらは簡単に誤りであると判断できる。
しかし、DE101005号機のように、転属先の高松が高知となってしまえば、
何の疑いもなく車歴実績とされ、今後も高松転属日は不明として車歴処理されると思われる。
このように、もし過去の鉄道雑誌3誌がDF50の転属日を日付面で誤発信していれば、
S氏資料の車歴表は(DF50に限った事ではないが)かなり変化するのではないであろうか。

<平成20年9月10日 追記>
レールマガジン301号付録CD−ROMの記載では引用元が不明瞭ではあるものの、
盛岡より転属、高松配置となっている。
尚、DF50高知機関区全廃に対処するDE10高知機関区へ送り込み配置の2両(DE1027・34号機)と、
DF50高松運転所全廃と同時に松山より高松へ送り込み配置となったDE10の転属記録はどこにもない。
いずれはDE10の資料についてもまとめておくべきかと思っております。


盛岡より四国へ転入、阿波池田に留置中のDE101005号機

盛岡より四国に転入し、阿波池田構内に留置中のDE101005号機。

DE10の区名札入れには回送票が差しこまれており、転属先配置区名が書かれていたのだが・・・。

ナンバーが不揃いで4箇所ともDE10 1 005となっていた異端車。

昭和58年1月23日 阿波池田にて。

2007年8月 記 
2008年9月 更新

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