145D、キハ47117と「土佐5号」キハ6545。
運用につくキハ47を一番最初に撮影した記念すべき1枚。
昭和55年8月 高松にて撮影。
旧系列の置換用として登場したキハ47系だが、
敵討ちとか憎いといった感情は当時からない。
特に昭和の鉄ヲタは、旧車を駆逐する新車を忌み嫌う傾向があり、
国鉄時代のキハ47系も同じように扱われていたが、
SLマニアがDF50をロクに撮影しなかった行為の真似はしたくはなかった。
(それでいて、敵討ち車両も廃車が近づくと必死で撮影する永遠のスパイラル。)
新製当時や全盛期を記録する事の大切さを知っていたので、
撮影対象はDF50だが、それなりに撮影はしているものの、
DF50を撮影するスジに合わせるため、乗車する方でお世話になった車両。
尚、当サイトでは系列呼称はキハ47系と呼んでいる。
キハ47系と呼ぶのは、キハ40よりキハ47が最初に誕生したからであり、
キハ17系・キハ20系・キハ35系・キハ45系と呼ぶのも同じ論理。
鉄道雑誌が呼称を変化させたのは理解不明。(特にRP)
一つだけ残念な事は、2色塗りで登場できなかった事だろう。
当然、JRは撮影・記録の対象外、画像は国鉄時代のみです。
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(記憶のDF50)