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< 令和2年10月28日〜令和3年1月2日 展示 >

工場専用線で試運転を終え、本線上へ向かうトップナンバー。

昭和57年11月6日 多度津にて撮影。

工場専用線で試運転を終え、本線上へ向かうトップナンバー。

トップナンバー最後の検査であった要検での出場、

友人と共に、その晴れ姿を見届けに多度津へ訪問した。

昭和57年度の1号機の要検は、計画通りの10月に入場、

平日と特に話題性もなく、多度津で撮影していたのは友人と二人のみ。

さて、現在保存中の1号機だが、全検表示の「55-3」が、

要検出場の「57-11」となっているのは大変残念、

いつ頃書き換えられたのかは不明で調査中。

文化館のイベントでは、この件についてはっきり説明できているのかは疑問。

< 追記:2024.1.16 >

この時に同行していた友人は夭逝、さらには、彼の撮影したポジ・ネガが、

長い時を経て、ヤフオクに出品されているのには驚いた。

彼とは、予讃線の練習運転の時に多度津で知り合い、

彼もまた四国に縁のある人間であった。

国鉄職員&ルセックであったので、情報力に長け、

土日しか休みがなかった私より、遥かにネタモノを撮影していた。

この出場の日、1号機のステップに乗った彼の姿を撮影したのはこの私だ。

彼の遺品を落札した方は、どうか大切にしてほしいと願っている。



< 令和3年1月3日〜令和3年3月5日 展示 >

「いよ52号」 9108レをDF50牽引最後の年の最終日。

昭和56年1月5日 箕浦〜川之江にて撮影。

「いよ52号」9018レ、DF50牽引最後の年の最終日。

昭和56年正月の「いよ52号」は3日〜5日の3日間運転された。

帰省対応の臨時急行「いよ」も、DF50が牽引する姿はこの日で最後となった。

牽引機のナンバーは画像では分からないが、確実に断定できる。

タブレット保護板白、貫通扉手摺一般で570号機か571号機となり、

SG煙突が一方排出タイプではないので571号機確定となる。

また、571号機は昭和55年度のスノウプロウ取り付け実績車ではなく、

570号機は昭和55年度のスノウプロウ取り付け実績車である。

尚、列車番号は9102レではなく9108レであり、公社時刻表にも記載されている。

DE10化された昭和57年より列車番号は9106レとなった。

(9102レは「はつはる」スジの列車番号、使用実績はその年による。)



< 令和3年3月6日〜令和3年5月13日 展示 >

大杉で貨車入換機回し中のDF5062号機。

昭和57年4月3日 大杉にて撮影。

大杉で貨車入換機回し中のDF5062号機。

大杉駅は毎年春になると、桜の花を咲かせる駅の一つ。

273レは、貨物入れ替えのため大杉駅に停車、

貨車からの荷下ろし用のホームもあった。

国鉄の合理化・トラック輸送が加速する中、

この撮影の一か月後に大杉駅は貨物取り扱いを廃止した。



< 令和3年5月14日〜令和3年7月13日 展示 >

早朝の郷東川を渡る3664レ牽引のDF5062号機。

昭和58年7月17日 高松〜香西にて撮影。

郷東川を渡る3664レ、DF5062号機。

高松運転所の南に位置する岩清尾山。(峰山公園)

ここにある展望台は予讃線の車内からも確認できた。

人間の記憶は曖昧のもので、展望台からの撮影と思っていたが、

同行していた友人の指摘により、

運転所から当時の結婚式場を少し登った所からだと判明。

この一か月後にもこの場所へ再訪問。

実際に岩清尾山の展望台訪問は、昭和60年の元日であった。



< 令和3年7月14日〜令和3年10月2日 展示 >

検査明けのDE109号機を最後部に、DF5051号機牽引の273レ。

昭和58年8月20日 阿波池田〜三縄にて撮影。

検査明けのDE109号機を最後部に、DF5051号機牽引の273レ。

DF5051号機牽引、273レの最後部には検査明けのDE109号機を連結。

ご存じ、秘境号初日での撮影、アングルとしては初公開だろうか。

阿波池田の手前での走行と、阿波池田駅の止まりを撮影後、

ご指名のタクシーの兄ぃでこの場所へ移動した。

四国でのこのタイプの編成では、最後部の機関車は押してもいない。

あくまでも便宜上による編成であり、

何でもかんでもこの編成に使っているカタカナ言葉は、

なぜか個人的に昔からが気持ち悪くて大嫌い。



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記憶のDF50


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