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< 令和元年7月2日〜令和元年9月29日 展示 >

新元号を祝してお召し仕様となった、四国鉄道文化館のDF501号機。

令和元年5月12日 撮影。

新元号「令和」を祝してお召し仕様となったDF501号機。

新元号「令和」を祝してお召し仕様となったDF501号機。

丁度、同僚らと石鎚山登山計画があったのでついでに撮影してきた。

当初、飾りつけは5月中までと言う事であったが、6月まで延長されたようだ。

お召列車は撮影した事もなく、特に興味もないが、

人混みも警備もない中、お召装備に当時の出来事を想像した。

飾り付けは現在も頻繁に行われている模様。



< 令和元年9月30日〜令和2年1月1日 展示 >

DF5022号機とヨ13596の3167レ。

昭和55年年11月23日 多度津にて撮影。

DF5022号機とヨ5000形の3167レ。

紀勢タイプの22号機とヨ5000形。

一見すると四国でない画像だが、多度津での撮影。

稀に違う緩急車が四国に入線してきた。

当然、四国では早くからヨ8000に替わっていたから、

緩急車としての機能は果たしてはいない。

なぜ入線してきたのかは今も不明。

宇野での解結を省略するためにぶら下がってきたのだろうか。



< 令和2年1月2日〜令和2年3月15日 展示 >

海岸沿いの国道と並走するDF5029号機牽引171レ。

昭和58年年2月13日 豊浜〜箕浦にて撮影。

海岸沿いの国道と並走するDF5029号機牽引171レ。

このような場所でDF50を撮影する人はいなかったであろう。

そもそも、豊浜〜箕浦〜川之江間は、海岸沿いとはいえ、

撮影地としては否定され、わざわざ訪れる人はいなかっただろう。

誰もが撮影しない場所も、時が経つほど記録的な価値が高まってくる。

大型車が並走しなかったのは幸い、当時の自動車も、今では懐かしい。

この場所で撮影後、箕浦で運転停車中に移動して、

「四国路のDF50」16番で掲載した場所で撮影した。



< 令和2年3月16日〜令和2年7月6日 展示 >

須崎湾沿いを走る石灰運用を終えた780レ牽引、46号機+56号機。

昭和55年4月1日 大間〜須崎にて撮影。

須崎湾沿いを走る石灰運用を終えた780レ牽引、46号機+56号機。

唯一、土讃線でDF50が海岸線を走る姿が見られた場所。

単調な撮影場所ではあるが、絶対に外せない場所だった。

単調であるが故か、あまりこの場所での撮影画像は見かけない。

それだけに、この場所で撮影しておいて良かったと思っている。

この場所も、現在は海側が埋め立てられ、道路ができてしまった。

また、かろうじて残った船溜まりも、

背景にバイパス・有料道路ができて景観が変化してしまった。



< 令和2年7月7日〜令和2年10月27日 展示 >

国道11号線沿いから川之江へ向かう191レ、後付DF5052号機。

昭和55年8月16日 箕浦〜川之江にて撮影。

国道11号線沿いから川之江へ向かう、191レ後付、DF5052号機。

箕浦〜川之江間は、海沿いを走る数少ない区間であったが、

現在は埋め立てが加速して昔の風景が完全に損なわれてしまった。

バックに写る、バンパックフェリーの看板も今は思い出。

多客時は1日3往復も運航され、ゴーマルとの絡みも視野に入れてはいたが、

DC急行とは撮影できたものの、その機会は実現できなかった。

さらに話を脱線すると、バンパックフェリーの就航時、

東神戸の乗船は青木ではなく、深江乗り場であったと記憶している。

ネット検索しても、その記述をするサイトは出てこなかった。


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記憶のDF50


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