− 宇高航路・第二の宇高連絡船 −
宇高国道フェリーは、国鉄宇高航路と同じく、
当時は乗客のみででも乗船できた「第二の宇高連絡船」であった。
国鉄航路は旅行者・帰省者の足、
国道フェリーは地域住民とマイカーの足といった感じでした。
関西ローカルのラジオ局でもCMを放送していましたが、
このCMでは淡路フェリーや広島グリーンフェリーのような音楽はありませんでした。
DF50撮影当時、深夜の高松の時間つぶしでは、
高松駅前の深夜喫茶「茶豆館」・片原町のゲーセン「ビックキャロット」、
そして、深夜でも運行していた、宇高国道フェリーを利用した事もあった。
船舶の撮影は専門分野ではありませんが、
それなりに在りし日の宇高国道フェリーの撮影がありましたので公開いたします。
昭和50年代後期の宇高国道フェリー、三つ折りリーフレット。
この時代から瀬戸大橋開通までが黄金時代でしょうか。
スチュワーデスと言う言葉も、現在では死語となりつつあります。
「たかまつ丸」と「南国とさ丸」、「かがわ丸」と「おかやま丸」は同型船で、
リーフレットでは同じ写真が使われている。
同型船であるが、外観では窓配置に異差があり、
リーフレットの写真は、「たかまつ丸」と「かがわ丸」だと判断できる。
リーフレットに写っている17名のスチュワーデス?は、
四国内の主要道路にあった、宇高国道フェリーの広告板では、
「昼も夜も19分ごと運行」というキャッチフレーズで、
19名いらっしゃったと記憶している。
このリーフレットの写真の中で、
「だいせん丸」・「かがわ丸」「こうち丸」の撮影はなかった。
「こうち丸」はこの頃に既に退役しており、
ジャンボフェリーの乗り場近くに係留されていたのを覚えている。
宇高国道フェリーの二つ折りポケット時刻表。
上のリーフレット同様、昭和50年代後期のもの。
写真の「うたか丸」は、リーフレットと同じ写真が使われていた。
宇高国道フェリーの半硬券乗船券。
窓口での購入か、自動券売機での購入であったのかは不明。
宇高国道フェリーの乗船領収書。
撮影記録から乗船実績を確認すれば、
昭和62年3月21日は、高松駅構内車両展示前日、
昭和62年10月10日は、高松運転所車両展示前日で、
どちらも友人の車に便乗して四国入りしていたようだ。
右端の領収書は、深夜の東神戸からニュージャンボで自転車と共に四国入り、
そのまま早朝に、同じく自転車と共に宇野へ乗船した自転車航送料金込みの領収書。
<この頁を作成するにあたって>
瀬戸内近海の船舶についてはある程度知ってはいたが、
船名を特定するにあたって、ひとまずネットで情報を検索するも、
そのあまりにも情報量の少なさに驚きました。
特に昭和時代の画像は限定されており、画像引用先不明や、
明らかに画像盗用している放置ブログなども見受けられました。
そんな中で、海人社発行の「日本のカーフェリー」は大変参考になりました。
また、宇高国道フェリーの外観の特徴を知る上で、
大変有効なサイトもあり、私の撮影した写真と共に考察してみれば、
客室窓の配置の相違が一番分かりやすいと判断できました。
その窓配置の相違を下記に纏めてみました。
< 表:各船客室窓配置の相違 >
船名 | 左舷 | 右舷 |
---|---|---|
南国とさ丸 | 17枚 | 17枚 |
たかまつ丸 | 18枚 | 18枚 |
だいせん丸 | 19枚 | 19枚 |
こくどう丸 | 13枚 | 13枚 |
うたか丸 | 14枚 | 12枚 |
こうらく丸 | 14枚 | 16枚 |
かがわ丸 | 前方3枚の間隔が広い | 前方3枚の間隔が広い |
おかやま丸 | 前方3枚の間隔が狭い | 前方3枚の間隔が狭い |
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(記憶のDF50)