国鉄時代の四国の客車形式写真集

    DF5062号機牽引126レ

    鮎喰川を渡るDE101011号機牽引321レ、旧客最終運用。

    昭和60年3月22日 吉成〜佐古にて撮影。

    追記参照。


    DF50を撮影していた当時、1回での撮影行でフィルムをまとめるようにしていたが、

    DF50だけでの撮影ではフィルム(36枚撮り)のコマが余っていしまう為、

    駅舎同様、フィルムの余り加減を見て、客車の形式写真も撮影していました。

    国鉄中期の客車形式写真は、RPでおなじみの研究者によって

    画像がWebサイトでも公開されておりますが、

    国鉄末期、しかも地域を限定した客車形式写真はあまり見かけませんので、

    私が四国で撮影した客車の形式写真をここに公開しております。


    <画像のコメントに関して>

    客車については専門分野外であり、かなり詳しく解説された書籍やサイトもあるので、

    当サイトではその車両への基本的な解説は、単なる転載となってしまう為に割愛しておりますが、

    四国総局による昭和58年に在籍していた客車配置表を基に多少記載しております。

    この客車配置表によれば、私では解釈できない「ケース3A車両とケース3B車両」や

    「郡別A〜G」といったアルファベットも一部の車両に記録されており、

    近代化とコロ軸受台車(オハ41・オハ(フ)61・マニ36・オエを除く)・蛍光灯化・扇風機取付が

    当時の四国の客車の基本的な形となっています。

    上記の特徴から外れる車両の画像にはコメントを追加しておりますが、

    昭和58年以前に廃車になった車両に関しては管理者の無知識のため、

    コメントできない場合もありますので何卒ご容赦を。

    一部1車両につき画像が複数ある場合は、

    エンドにかかわらず、便所側・洗面所側を明記しております。


    2010・10・15 追記

    <四国での旧型客車の最終運用について>

    最近、書籍やWeb上において、四国での旧型客車の運用が、

    昭和60年3月14日のダイヤ改正(小松島線廃止)で

    消えたと書かれているがこれは誤りであり、

    正しい四国での旧型客車の最終運用は、ダイヤ改正8日後の3月22日である。

    (1986年・昭和61年という記載は完全に論外)

    50系客車への置き換えがダイヤ改正からずれ込んでいるのは、

    各地のダイヤ改正で余剰になった50系客車を四国に充当した為である。

    また、昭和59年2月の組織改編で小松島客貨車区が徳島気動車区に吸収され、

    小松島配置の客車は、高松や高知へ分散配置されているのだが、

    小松島線廃止まで客車の配置があったと勘違いされている方も多い。


    2019・4・15 参考追記

    同じような例として、キハ181系「しなの」の最終が、50.3改正前日というのがある。

    実際には改正より前の2月下旬に381系に電車化されており、

    当時の鉄道雑誌の誤った記述が拡散して蔓延している。

    冷静に考えて、キハ181系「しなの」を3月9日まで走らせておいて、

    ダイヤ改正直後に四国特急の増発・伯備線「やくも」の増備は不可能だ。

    また、キハ181系の車歴を調べれば、つじつまが合わない事に気づくだろう。

    このような事例に関しては、実際に現場に立ち合い、

    当時の写真を撮影した者にしか分からないかも知れないが、

    ちょっと調べれば、正しい発信をされている方もいらっしゃる。

    一つの鉄道雑誌や、一つのネット情報を安易に信用せず、

    ネット時代であるならば、もう少し検索をしっかり行う事だろう。

    尚、最近発行されている各書籍には正しい記録が掲載されている


    以下、四国での旧型客車最終運用データ。

    昭和60年3月22日

    高徳本線 321レ ― 324レ 客車4両編成

    ←高松側                          徳島側→

    スハフ4315+オハ351157+オハ41356+オハフ33398

    321レ牽引DE101011号機(109仕業1日目)

    324レ牽引DE101184号機(119仕業2日目)

    (109仕業の誤記ではありません。念のため。)

    3月14日のダイヤ改正より高松運転所のDE10の運用は、

    119仕業32組であり、101〜107仕業・108〜118仕業が循環運用、

    119仕業が単独運用であった。

    この旧型客車最終運用の編成は、5日間運転された、

    「小松島線さよなら列車」5両編成の偶数日運転(即ち、10・12日)より、

    小松島港側のオハフ331533を切り離した編成である。

    尚、50系客車の引退日はJR化後の出来事でもあり、

    私の調査・記録対象ではないので全く不明です。


    <形式写真>

    オハ35
    オハフ33
    オハ47
    スハフ42
    オハフ46
    スハ43
    オハフ61
    スハフ43
    オハ41
    マニ36
    オエ61
    オハ50
    オハフ50
    スユニ50
    他地区入線車両


    <側面形式記号番号表記>

    オハ35・オハフ33
    オハ35
    1075 1157
    オハフ33
    330 398 471 504
    1002 1531  1533  1561
    オハ47・スハフ42・オハ41・スハフ43
    オハ47
    108
    スハフ42
    131
    オハ41
    356 455
    スハフ43
    2 3 15
    オハ50・オハフ50
    オハ50
    186 187
    オハフ50
    81 87 116 418
    オハフ61・オエ61
    オハフ61
    20・657
    オエ61


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