四国の急行ヘッドマーク変遷
1975年(昭和50年)以降からJR化迄のヘッドマーク取り付け変遷を解説。
管理者の撮影・所蔵HMを中心に、出版物やネット画像を精査して作成。
よって、不明点も多くありますが、判明次第更新いたします。
尚、精密な複製を少しでも防止するため、
書体等、HMの細かな部分の解説は致しません。
1968年(昭和43年)10月、白板化以降は台座と単板一体化、
もしくは台座に文字塗装したHМが主流であった。
私が鉄道写真を始めた1975年(昭和50年)以降、
台座に単板を裏からボルトを通して前面から蝶ネジで固定、
後に外側からボルトで固定に変更された。
台座の尾灯フック取り付けは1ヶ所のみから2ヶ所タイプが主流となる。
白単板は「急行」書体が小さく愛称名が大きい板と、
「急行」文字が大きく愛称名が小さい板の2種類があった。
制作会社の違いと言われているが、その事実は確認できてはいない。
書体の大きさの他、急行文字の塗料・色合いも違っている。
路線色別化後も様々な変化があり、見比べると面白い。
JR化後も新しい字体・色調のHMも登場しているが、
JRの記録は対象外なので、各自調べてみると良いだろう。
年代 | 主な変遷 |
---|---|
1975年(昭和50年)〜 | 白板のみ。単板は愛称名の大文字・小文字タイプ有。 |
1977年(昭和52年)10月 | 路線色別のHМを運用開始、日捲り式は色別対応せず。(いよ・うわじま・阿波・むろと) |
1979年(昭和54年) | 単板の固定方法が蝶ネジ固定からボルト・ナットに変更。 (8月に高松で発生した鉄ヲタ史上最大級のHМ・サボ盗難事件の影響か?) |
1980年(昭和55年)10月 | 日捲り式の路線色別化。 |
1983年(昭和58年) | 路線色別単板の後期書体・「土佐・あしずり」の日捲り式が登場。 「急行」の文字は全列車後期書体に統一し、愛称名の書体変更。 劣化したHMを順次、後期書体へ置き換え。 |
1984年(昭和59年) | 「いよ・うわじま」の日捲り式後期書体、「土佐・あしずり」の日捲り式小文字が登場。 |
1985年(昭和60年) | 「阿波・むろと」の日捲り式後期書体が登場してJR化へ至る。 |
「いよ・うわじま」
日捲り式白板(アルミ合金製)の登場時期は現状不明。
路線色別日捲り式の 「うわじま」 は色別単板前期書体を継承されるが、
「いよ」 は単板後期書体へ変更されている。
後期日捲り式書体は、単板色別後期書体と同じ。
単板初期書体タイプは早期に後期書体へ変更。
「うわじま」白板HM、大文字・小文字タイプ。
左:大文字タイプ、キハ58196、昭和50年4月 川之江にて撮影。
右:小文字タイプ、キハ58304、昭和50年4月 高松にて撮影。
小文字タイプの書体はJRにも継承されており、
大きい「急行」文字の赤色は塗料の違いにより濃いめ。
台座への白板取り付けは蝶ネジで固定。
「いよ」白板HM、大文字・小文字タイプ。
ご存じ、キニ56先頭の「いよ」4号104D、白板HM、大文字・小文字タイプ。
左:大文字タイプ、キニ561、昭和50年4月 川之江〜伊予三島にて撮影。
右:小文字タイプ、キニ562、昭和50年8月 川之江にて撮影。
キニ561と2の違いをご確認あれ。
「土佐・あしずり」
白板大文字タイプでは、文字が少し上に書かれた物が存在した。
路線別化後の1983年(昭和58年)より日捲り式が登場、単板後期書体を継承。
(正式な登場日は不明。)
1984年(昭和59年)には小文字書体も登場、
JRにも継承されており、短期間の使用で劣化が激しかった。
単板色別は、国鉄晩年まで初期書体と混在して運用。
左:「あしずり」白板大文字タイプ。
まともな撮影がなかったので我が家のコレクションから。
キハ6533 2008年12月 四国鉄道文化館にて撮影。
許可を得て、我が家の全てのHMで撮影大会を実施。
右:白板小文字タイプ。
「あしずり」3号 705D キハ65 昭和51年8月 高松にて撮影。
「阿波・むろと」
昭和40年代から白板は鉄製の日捲り式があり、
「阿波」は緑縁・「むろと」は赤縁のHM。
その後、「阿波」「むろと」共に緑縁のHMが登場している。
路線色別化では日捲り式の色別対応せず、
鉄製からアルミ合金製HМで運用開始。
1980年(昭和55年)に日捲り式HMの色別化、
愛称名は単板色別初期書体ではなく、白板大文字書体を継承。
1985年(昭和60年)より 「阿波・むろと」 の日捲り式後期書体が登場、
単板色別後期書体を継承。
単板色別は、国鉄晩年まで初期書体と混在して運用。
「阿波」「むろと」鉄製白板日捲り式HM。
キハ282202 昭和51年8月 高松にて撮影。
「阿波2号」到着後、折り返して「むろと2号」へ。
すでに「むろと」の縁は緑色に変更されている。
文字は、白単板大文字タイプとほぼ同じ。
鉄製日捲り式なので結構重たい。(実測約7s)
「よしの川」
路線色別化まで、台座と単板が一体化した旧タイプのHMも運用。
赤枠のHMも存在していたようだが、遭遇する事はなかった。
色別は、国鉄晩年まで初期書体と混在して運用。
左:台座と一体化した白板旧タイプ。
このタイプは既に予讃や土讃では見られなかった。
「よしの川」2号 404D キハ5876 昭和51年8月 阿波池田にて撮影。
右:一般的な白板大文字タイプ。
「よしの川」2号 404D キハ5876 昭和51年12月 阿波池田にて撮影。
臨時列車
「やくし」 「たいのはま」 「にしうみ」 「あけぼの」
集約臨を除いた、臨時列車・団体列車にもHMは掲げられていた。
国鉄晩年も運転されていた 「やくし」 、
多度津工場で公開されていた 「たいのはま」 は御存じの方も多いだろう。
雑誌でも紹介されていた 「にしうみ」 はともかく、 「あけぼの」 はまず知られていない。
不思議な事に上記4種のHMは、愛称名が大文字でありながら、
急行書体は 「急行文字が大きく愛称名が小さい板」 と同じ書体。
この急行書体はJRに登場したHMにも継承されている。
「青いさんごしょう」 は現状不明。
(サボの存在は確認したがHMは見た事がない。)
国鉄晩年はHM付き団体列車が多数運転され、すべて網羅するのは不可能だろう。
初詣臨時急行{やくし」、むろと1号501D後併。
キハ58255、昭和55年1月 高松にて撮影。
臨時列車4種にしか見られなかったタイプの白単板HM。
尚、日捲り式白板アルミ製もこの急行書体を踏襲している。
- HMの掲出を表にまとめてみました。 -
- 2022年(令和4年)11月23日付、朝日新聞記事について -
四国の吊り下げサボの頁でも少し記したが、
2022年(令和4年)11月23日付、朝日新聞(四国4県地方面)、
四国の急行HM誕生秘話の記事は不可解な点が多い。
生みの親とされる人物の四国支社赴任が、1959〜1960年なのに、
HM付準急 「やしま」は、1958年11月には既に運転開始しているし、
客車時代からテールマークは取り付けられている。
全国的に見てもHMを取り付けるのは当たり前の時代であったハズだ。
色別化に関しては本当かもしれないが、「字が下手」 の感想は疑問。
小文字のHMしか見ていなかったのだろうか・・・。
サボの色別化も年代を精査する必要があるだろう。
新聞記事が信用できない一例、
今後、鉄道雑誌編集者や広く浅いライターの記述が楽しみ。
- 四国の急行ヘッドマークへの想い -
DF50の撮影では、路線別のヘッドマークが馴染みあるが、
個人的には子供の頃に初めて見た、白板のHMが好きだ。
確かに色彩で華やかだが、初めて見た色板の感想は 「安っぽい」。
実際の現物は本当に安っぽく、スプレー塗装と言った感じだ。
白板の「塗り文字」の重厚さは全くないのはちょっと残念だった。
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記憶のDF50