事故記録

− 四国新聞(香川県)・愛媛新聞からの抜粋 −


香川県立図書館では昭和50年より、

項目別に四国新聞記事からのスクラップブックがり、

その中に交通事故をまとめたスクラップブックがあります。(陸・海・空、全般)

愛媛新聞は某市民図書館での閲覧で、

1年分の社会面をめくる事になり、かなりの時間を要します。

昭和50年以降ですが、その中からDF50が絡んだと思われる記事を抜粋しました。

人身事故を編集するのには少し抵抗もありましたが、

これも一つのDF50の記録としてまとめてみました。

尚、大新聞といえども、その内容の正確性に保証はありません。


< 四国新聞 >
昭和50年8月1日・8時50分頃、
多度津発新居浜行貨物列車(19両編成)が、海岸寺〜詫間・大見踏切にて人身事故。
男女2名と乳児1名の3名死亡。
事故発生時刻から181レと判断。


< 四国新聞 >
昭和51年12月7日・18時08分頃、
松山発高松行貨物列車(18両編成)が、波止浜〜大西・九王第四踏切にて事故。
大型トラックと衝突も死傷者なし。
事故発生時刻から2176レと判断。


< 愛媛新聞 >
昭和52年2月25日・22時40分頃、
伊予西条22時35分発、上り貨物列車(18両編成)が、
中萩〜伊予西条・明神木第一踏切にて男性運転の乗用車と衝突。
乗用車は大破したが、乗車していた夫婦は無事。
同列車は現場に約15分停車。
事故発生時刻から2178レと判断。


< 愛媛新聞 >
昭和52年6月19日・4時40分頃、
下り松山行貨物列車が、三津浜〜松山・通称辻町踏切にて人身事故。
男性1名死亡、飛び込み自殺のもよう。
同列車は現場に約16分停車。
事故発生時刻から2181レと判断。


< 愛媛新聞 >
昭和52年11月23日・17時頃、
高松発下り松山行貨物列車が、菊間町種で自転車を押して渡っていた幼児をはねる。
幼児は約10mはね飛ばされ即死。
現場は約50cmほどの通行禁止になっている農道。
50m先には警報機・遮断機付きの田第二踏切があるが、
農道は買い物などによく利用されているという。
事故発生時刻から3755レと判断。


< 愛媛新聞 >
昭和52年12月6日・20時45分頃、
多度津発下り松山行貨物列車(1両編成)が、多喜浜〜新居浜・無人踏切(第四種)で、
会社役員運転の普通乗用車に衝突、車は大破したが運転手はかすり傷を負っただけの軽いけが。
乗用車の運転手が踏切で一旦停止を怠ったらしい。
貨車はこの事故で制動管が故障、現場に約1時間立ち往生した。
事故発生時刻から6165レと判断。
1両編成での貨車とは「ヨ」だったのだろう。


< 四国新聞 >
昭和53年3月22日・高瀬事故。
内容割愛、高瀬事故の頁を参照。
尚、四国新聞には写真掲載なし。


< 四国新聞 >
昭和53年4月27日・10時40分頃、
入れ替え貨物列車(2両編成)が、坂出臨港線・配炭踏切にて事故。
普通トラックと衝突、けが人なし。


< 四国新聞 >
昭和53年5月8日・8時18分頃、
松山発高松行貨物列車(7両編成)が、観音寺西踏切にて自転車人身事故。
男性1名死亡。

<補足>
該当時間に貨物列車はなく、普通列車138Dの間違いと思われる。


< 四国新聞 >
昭和53年8月17日・16時10分頃、
坂出港発坂出行貨物列車が、坂出臨港線・八緩踏切にて自転車人身事故。
女性1名死亡。
写真掲載あり、DF5033号機。


< 愛媛新聞 >
昭和54年2月14日・14時25分頃、
松山発高松行普通列車が、今治〜波止浜・近見中学校踏切にて人身事故。
幼児が頭をなどを打ち即死。同列車は現場にて12分停止。
事故発生時刻から128レと判断。


< 愛媛新聞 >
昭和54年5月13日・14時55分頃、
松山発高松行普通列車が、伊予三芳〜伊予桜井・神宮寺踏切(しゃ断機なし)にて、
普通乗用車と衝突、乗用車の男性が3週間の怪我。
同列車は現場にて8分停止。
事故発生時刻から128レと判断。


< 四国新聞 >
昭和54年5月20日・11時50分頃、
高松発松山行貨物列車(22両編成)が、本山駅にて
対向していた松山発高松行普通列車(9両編成)の同一線路内に進入。
正面衝突にはいたらず、けが人なし。
貨物列車が信号無視、ATS警報ブザー確認ボタンを押す。
事故発生時刻から3175レ・126レと判断。


< 四国新聞 >
昭和54年7月25日・17時58分頃、
高知発高松行普通列車(6両編成)が、宇多津〜丸亀・一本松踏切にて事故。
普通乗用車と衝突、乗用車の男性2名死亡。
写真掲載あり、DF5025号機・発生時刻から226レと判断。

<補足>
四国総局では、踏切事故撲滅の啓発活動として、
四国総局管内での踏切事故のパネル写真を10点程度、
回り持ちで主要駅前に展示していた事があり、
その中に、この踏切事故での写真も展示されていた。


< 愛媛新聞 >
昭和54年8月29日・5時16分頃、
松山発高松行貨物列車が、伊予北条〜柳原・土手内踏切にて人身事故。
女性1名死亡。
女性がしゃ断機の支柱の影から飛び出し、線路上にうつ伏せになったままでいるのを、
同運転士が約40m手前で発見、急ブレーキをかけたが間に合わなかった。
事故発生時刻から172レと判断。


< 愛媛新聞 >
昭和54年9月20日・二度にわたって線路上に置かれた枕木をはねる。
19時10分頃、高松発伊予西条行普通列車が、
伊予寒川駅から東へ約500mの地点で、さらに、20時過ぎにも下り貨物列車が、
いずれも線路上に置かれた2本の枕木をはねた。
両列車とも伊予寒川駅で停車直前だったため、列車・乗客への被害なし。
事故発生時刻から127レ・173レと判断。(53・10改正)


< 愛媛新聞 >
昭和54年10月28日・13時30分頃、
多度津発松山行貨物列車が、土手内踏切(伊予北条〜柳原)にて、
学童の乗った自転車が接触、転倒し左足打撲で七日間のけが。
自転車のブレーキが前後とも故障していた。
同列車は現場にて5分停止。
事故発生時刻から183レと判断。


< 四国新聞 >
昭和55年2月10日・16時20分頃、
松山発伊予西条行普通列車(7両編成)が、粟井〜堀江で走行不能。
負傷者はなし。
事故発生時刻から1122レと判断。


< 四国新聞 >
昭和55年4月13日・6時10分頃、
松山発高松行貨物列車が、御厩踏切(鬼無〜端岡)にて人身事故。
女性1名死亡。
事故発生時刻から3664レと判断。


< 四国新聞 >
昭和55年4月23日・7時15分頃、
松山発高松行貨物列車(20両編成)が、国分〜鴨川で立ち往生。
機関冷却水漏れによる機関停止。
事故発生時刻から170レと判断。


< 愛媛新聞 >
昭和55年5月8日・12時30分頃、
川之江駅構内上り安全側線に、
伊予三島発多度津行貨物列車(車掌車1両編成)が乗り上げて脱線、20度近く傾いて停車。
川之江駅で貨車7両を連結する予定であったが、ブレーキが効かず川之江駅を通過、
そのまま構内の安全側線まで走って、砂利に乗り上げ脱線。
後日、事故原因の詳細が判明、同貨物列車のM機関士が、
伊予三島駅で機関車の運転台を前後に切り替えた時に、
ブレーキの切り替えを忘れ、川之江駅に着いた時に気付いて戻したが、
間に合わず、構内安全側線(引き込み線)に突っ込んで脱線。
伊予三島駅を発車する時にブレーキテストをしていなかった。
写真掲載あり、DF5020号機・事故発生時刻から190レと判断。


< 愛媛新聞 >
昭和55年5月13日・8時20分頃、
伊予亀岡駅東200メートルの佐方川踏切(一種)で、
高松発下り普通列車が、男性をはね、肋骨骨折で1か月のけが。
バイクで同踏切を渡ろうとした男性が、手前の遮断機をくぐり、
向こう側の遮断機に激突、転倒したのを50メートル手前で機関士が発見、
急ブレーキをかけたが間に合わず、男性は1.5メートル下の佐方川にはね飛ばされた。
事故発生時刻から121レと判断。


< 四国新聞 >
昭和55年6月5日・11時7分頃、
坂出港駅へ向かっていた機関車(単機)が、坂出臨港線・長堤踏切にて自転車人身事故。
女性1名二週間のけが。


< 愛媛新聞 >
昭和56年9月25日・14時23分頃、
今治市大浜、狭間踏切(警報機・遮断機なし)で、
軽四トラックと松山発高松行普通列車(9両編成)が衝突。
軽四トラックは約15メートルはね飛ばされ、線路から約2メートル下の田に転落。
軽四の男性運転手が死亡、乗客にはけがなし。
現場に約13分停車。
事故発生時刻から128レと判断。


< 愛媛新聞 >
昭和56年9月26日・18時23分頃、
今治駅構内で松山発高松行貨物列車(176レ・8両編成)が、貨車3両を連結する入れ替え作業中、
機関車と次位貨車(コキ・写真あり、牽引機はDF5034)が本線上で脱線し立ち往生、
事故発生から約8時間後に復旧。
後日、事故原因の詳細が判明、三番線に入った貨物列車の前6両を切り離し、
4番線の貨車3両と連結する作業中、作業員Fが誤って自動制御装置を操作、
転てつ機を反位に操作(1番線方向)に切り替えた。
また、作業員Kが、Fの過失により誤って表示された転てつ機の反位信号に気づかず、発車の合図を送った。
作業員F・Kが書類送検。


< 愛媛新聞 >
昭和57年3月7日・13時56分頃、
松山市西町の線路上で、近くに住む6歳男児が、多度津発松山行貨物列車(11両編成)にはねられた。
男児は30メートル飛ばされ、頭の骨を折って二か月の重傷。
列車は現場に18分停車。
事故発生時刻から183レと判断。


< 愛媛新聞 >
昭和57年5月31日・20時07分頃、
松山発高松行貨物列車(24両編成)が、東赤井踏切(箕浦〜川之江)にて普通乗用車と衝突。
普通乗用車はエンストで立ち往生、乗用車の運転手は車外に出ていて無事。
軽四輪車以下しか通れない同踏切を無理に渡ろうとしたらしい。
事故発生時刻から174レと判断。


< 愛媛新聞 >
昭和57年8月10日・21時27分頃、
松山発の上り貨物列車(30両編成)が、第一東町踏切(伊予三島〜伊予寒川)で、
縦53センチ、横38センチ、重さ約47キロの大石をはねた。
同運転士が約50メートルで発見、急停止したがはねた後、約50メートル走って停止した。
現場に10分停車後、伊予三島に臨時停車して16分遅れで高松へ向かった。
伊予三島市内では連続列車妨害事件が多発しており、四国総局鉄道公安室の「厳戒態勢」を敷いていたが、
同日で6件目であり、6日から8日までの5件は川之江〜伊予三島間に集中、
犯行現場が西へ移動し、障害物も古い枕木とドラム缶を使用していた。
事故発生時刻から176レと判断。


< 愛媛新聞 >
昭和57年8月15日・3時30分頃、
西条発高松行貨物列車(17両編成)に、土居町野田で近くに住む男性が飛び込み即死。
同運転士が約20メートル手前で発見、ブレーキをかけたが間に合わず、約190メートル先で停止した。
事故発生時刻から3664レと判断できるが、始発駅は西条ではなく松山。


< 愛媛新聞 >
昭和57年11月04日・11時30分頃、
多度津発松山行貨物列車(10両編成)に、線路上を横断していた老婦人が接触。
老婦人は意識不明の重体、同列車は現場に約20分停車。
事故現場の今治市孫兵衛作は以前踏切だったが、立ち入り禁止でくいが打たれていた。
事故発生時刻から183レと判断。


昭和56年以降には、DF50の運用範囲も狭くなったのか、

四国新聞にはDF50に関連する事故記録はなく、

愛媛新聞では、昭和58年以降のDF50に関連する事故記録は見つかりませんでした。

今後、さらに年代を拡大し、高知新聞でも図書館で調査したいと思っています。


2020年4月 愛媛新聞、昭和52年下半期分を追記
2019年4月 愛媛新聞、昭和52年上半期分を追記
2018年6月 愛媛新聞、昭和54年分を追記
2017年9月 愛媛新聞、昭和55年分を追記
2016年6月 愛媛新聞、昭和56年・57年分を追記


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