斗賀野駅 昭和58年3月撮影。
DF50の撮影ではお馴染みの駅。
大平山鉱山への専用線が伸びていた。
吾桑駅 昭和57年4月撮影。
近くの築堤がDF50の有名撮影地であった。
多ノ郷駅 昭和56年3月撮影。
ここから大阪セメント工場への専用線が分岐していた。
駅前にはなぜか、駐車禁止の標識がズラリ。
大間駅 昭和58年3月撮影。
昭和35年設置のホームのみの駅。
駅名標は木製のかなり古いタイプ。
安和駅 昭和59年8月撮影。
海沿いに位置するロケーションの美しい駅である。
木造の駅本屋は、もちろん、現存しない。
安和駅 昭和59年8月撮影。
安和駅ホーム側より撮影。
私たちも含めて海水浴帰りの客が数名列車待ち。
窪川駅 昭和57年8月撮影。
平成の大合併で、窪川町から四万十町の玄関駅となる。
国鉄バス窪川線が発着していた。
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(記憶のDF50)