DF50の側面にあるナンバーと製造銘板の画像を集めたコーナーです。
側面のナンバーと製造銘板は積極的に撮影した訳ではなく、
フィルムの残り具合や気分しだいでの撮影でした。
廃車後に販売されるとは思ってもいなかったので、
部分的ながら撮影していた事により、新たな発見もありました。
車両メーカーの思いがこめられた製造銘板ですが、
ほとんど、書籍やサイトでは取り上げる事がありませんでしたので、
DF50という1車両に限ってではありますが、ご紹介・画像公開致します。
製造銘板・製造番号について
製造銘板は車両の製造会社を示し、その車両の戸籍謄本のようなもであり、車両研究においてとても重要なものである。
新三菱の製造銘板が楕円形から長方形に変更されたのは、試作機と量産車との区別した訳ではなく、
国鉄工作局より長方形への規格統一指示が偶然重なった為である。
古い機関車には製造会社によって様々な形の製造銘板が存在したが、この指示により全て同じ形の製造銘板となった。
尚、規格統一は国鉄車両のみであり、民鉄車両にはこの限りではない。
製造番号は各製造会社の法則によって付けられるが、その製造所内においても細かく分類されるものもある。
ところで最近、鉄道雑誌やネット上において、車両番号を製造番号と呼んでいるのには非常に驚いた。
国鉄からJR化後になった若い世代が発言しているのかと思えば、そうでもないらしい。
つまり、DF501号機の製造番号が「1」になるというのだ。
確かに概ね製造順に車両番号を付与しているのだが、その意味合いは全く違ってくる。
渡辺肇著、日本製機関車製造銘板・番号集成において、冒頭、高田隆雄氏は、
「製造番号は品質の保証、すなわち納入した製品対する責任を明確にするという意味合いにおいて、
それぞれの機関車製造所で、その製品にこれをはっきりと明記した。」
と書きとめ、製造番号=製造者側の付与番号、車両番号=鉄道事業者側の付与番号と
区別するということで友人とも一致している。
車両番号はその車両の改造によって変化するが、製造番号は絶対に変化してはいけない番号なのである。
車で例えるなら、ナンバープレートの番号を製造番号と呼ぶくらい滑稽な話だ。
また、鉄道車両の製造を、鉄道会社が行っていると誤った解釈をしている場合も多い。
四国で例えるなら、●●系はJR四国が製造した・・・と。
鉄道会社は車両製造会社へ車両製作を発注しているだけで、車両を製造しているのではない。
ちなみに、私の勤務している会社は鉄道会社ではないが、三菱重工の他、
他社の同じ形の機械も納品稼動しており、当然、それにもメーカーの製造番号は存在し、
社内では独自に機械番号を付与している。
もちろん、社内付与番号を製造番号と呼ぶ者は一切いないどころか、
一般的には製造番号という言葉さえ知らないのが普通であろう。
車両番号を製造番号と呼ぶのを、鉄道雑誌が車体表記の特集として解説してしまっている以上、
残念ながら、もうこの流れを食い止める事はできない。
将来、「製造番号には2種類ある〜」といった解説もあるかもしれない。(笑)
(鉄道雑誌は記事を編集するだけが仕事であり、その内容が間違っていても一切関知せず、寄稿者の責任というスタンス。
保存鉄道存続には大げさに宣伝するが、正しい鉄道資料を後世に伝えようとする機能は全くない。)
最近の機関車には製造番号はもちろん、製造銘板すら取り付けられていないのも要因であろうか。
この事態に、渡辺肇氏がご存命であれば一体何を思われたであろうか・・・。
DF50の製造銘板と塗装
新製当時に取り付けられたDF50の製造銘板は、真鋳製にクロムメッキを施し、
文字・エッジ部分を残し塗装されたが、その後、各地区により変化が見られるようになった。
米子・日豊では新製時と同じ塗り分けであったが、亀山区では製造銘板全てを塗装で塗り潰し、
四国では反対に全て塗装を剥離しクロムメッキの状態である。
但し、お召し牽引の場合は全ての地区において新製時と同様の塗り分けで運用された。
四国のDF50の製造銘板の特徴
前序の通り、一般的に国鉄の製造銘板は塗装板であった。
四国では無塗装でクロムメッキの状態であり、茶色時代から塗装変更された頃に無塗装になった様である。
また、転入車の場合、全検入場時に塗装剥離が行われた。
-参考画像- ※別ウィンドウで開きます。
ところが、四国で全検を受けず、廃車当時は塗装銘板でありながら、
多度津工場の部品放出で塗装剥離された製造銘板がある。
現在、569号機の製造銘板が2枚、37号機の1枚も塗装剥離されている事が判明した。
なぜ廃車後に塗装剥離されたのかは不明である。
また、最近では、亀山区の銘板も重厚な塗装を剥離して、
薄っぺらい塗装を施した銘板が鉄道部品屋で登場しており、
何故このような行為をするのか理解不明、当時の貴重な資料を損ねてしまい非常に残念。
DF50のナンバ−と製造銘板の取り付け位置
ナンバー・製造銘板は中間台車の中心位置に取り付けられていた為、
量産車の中間台車が1エンド側へ若干移動したと同時にナンバー・製造銘板の位置も移動している。
この為、量産車はエア・フィルターとの位置関係で左右どちらに取り付けられていたのかが写真でも判断できる。
前側面の位置称呼について(1位〜4位・公式と非公式)
公式側・非公式側は国鉄の公式な呼称ではない。
1位〜4位・公式と非公式の決め方はさておき、
前位(1端・1エンド)を先頭として、左側を2−4位(公式)、右側を1−3位(非公式)と呼ばれている。
当サイトでは四国地区での側面配置が分かりやすいように瀬戸内側・太平洋側と明記した。
海側・山側と表記している場合もあるが、高松・高知とでは逆転するのでこちらで表記した。
四国に在籍していたDF50は、松山・高知方面が前位(1端・1エンド)で高松方面が後位(2端・2エンド)である。
したがって、瀬戸内側が右、1−3位(非公式側)・太平洋側が左、2−4位(公式側)ということになる。
尚、国鉄での位置称呼については「1位〜4位」と、称呼規程で定められており、
公式側・非公式側という呼び方は、国鉄の公式な呼び方ではない。
公式側・非公式側という呼び方については、写真がまだ一般的でなかった頃、
公式的な制作図面に描かれている方を公式側、描かれていない方を非公式側と名づけられたようだ。
実際に鉄道車両図面制作側において、この呼び方を行っていたのかは不明だが、
国鉄車両には概ね、1端(前位)・2端(後位)の表示はされており、公式側・非公式側といった呼び方は、
鉄道マニアだけの呼称だけであると推測する。(特に鉄道模型あたり)
ちなみに、私自身は実車にしか興味はないので、公式側・非公式側という呼び方は絶対にしない。
(九州地区・浜松工場入場実績車での刻印でもあるように、側面では、右側(R)・左側(L)の呼び方はある。)
実車にしか興味がない人間にとって、非も是もなく、全ての位置が公式側であり、公式・非公式という呼称は、
私が、瀬戸内側・太平洋側と呼んでいる程度ものであると認識するべきだろう。
2016年12月19日 再編
2013年2月12日 追記
2010年9月12日 追記
参考文献 渡辺肇著 日本製機関車製造銘板・番号集成
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記憶のDF50