昭和52年の和歌山植樹祭にて、57号機と共にお召しを牽引した車両ではあるが、
最後まで銀帯で残った26号機とお召しの先頭に立って
紀勢のさよなら運転も牽引した57号機とは対照的に、
早期廃車になった8号機と共にあまり話題にはならなかった車両でした。
太平洋側
昭和55年3月の全検入場により、製造銘板も塗装剥離された。
同じく太平洋側だが、盗難の為か、ナンバーが白ペンキとなっている。