太平洋側で、昭和56年6月に要検出場後の四国型に改造された姿だが、
製造銘板には変化なく塗装板。
尚、瀬戸内側は昭和57年前半頃、ナンバーが盗難に陥り、
昭和57年9月の全検入場まで白ペンキナンバーで運用に入っていた。
太平洋側
昭和57年10月4日に全検出場し、製造銘板の塗装は剥離された。
多度津へ廃車回送されてきた時の姿。
取り外し済みのサインはなかった。