試作機である1〜7号機の新三菱製造は楕円形タイプの製造銘板。
試作機と量産機を意識して区別した訳ではなく、
国鉄工作局より長方形への規格統一指示とが偶然に重なった為である。
落成日は昭和32年であるが、銘板の製造年は昭和31年となっている。
(1号機〜6号機が31年製造の模様、7号機は32年。)
引退間近かの昭和58年7月末〜8月初め頃、
不幸にも1枚の製造銘板が盗難されてしまった。
(確か瀬戸内側だったと記憶する。)
企画列車の「秘境号」運転前でもあり、製造銘板が欠けていたのではいけないとの事ので、
急遽、片方の製造銘板から鋳型を取って新しく製造銘板を作ったそうである。
太平洋側。
盗難された瀬戸内側の製造銘板。
ドアップで撮影していなかった事が悔やまれる。
瀬戸内側のラジエターは冷却水用で、量産車と同じく12本である。
多度津工場に保存後、瀬戸内側のみ、
下部のラジエタカバーがRのついた物が取り付けられてある。
多度津工場保存の太平洋側・2005年10月撮影。
多度津工場保存の瀬戸内側・2005年10月撮影。
「D」の文字の微妙な角度の違いでどちらかが判断できる。
多度津工場が販売目的で外注された、DF501号機のレプリカ銘板。
友人に委託購入して頂いたので、鋳造枚数など、
詳しくは不明だが、それほど枚数は多くないらしい。
DF50が引退してまもなくの頃であったと記憶する。
<追記>
精巧なDF501号機のレプリカ製造銘板(鋳鉄製)があると、知人より報告がありました。
現物を拝見させて頂いた所、鋳鉄製という以外、殆ど本物と遜色なき物でした。
(そのレプリカ銘板は朱色、3点ビス穴もちろんあり、本物と同じ番号部分のバリあり。)
その時ふと思い出せば、DF50の製造銘板は砲金製であるという概念から、
盗難時に複製された製造銘板が砲金か鋳鉄かの確認をしていない事に気が付きました。
早速、友人が伊予西条へ確認に出かけた所、レプリカ銘板は鋳鉄製でありました。
(当然、もう片方の本物は砲金製なので磁石は付かない。)
そこで、新たに発見された1号機のレプリカ製造銘板について仮説を立ててみました。
・盗難のため昭和58年に急遽鋳造された製造銘板の予備品。
・盗難された製造銘板で鋳型を作り鋳造された製品。
1枚鋳造するのも複数鋳造するのも、コストは殆ど変わらないので、
予備品が複数存在する可能性も納得はできます。
もし、盗難された本物の1号機の製造銘板が何処からか出てきた場合も、
磁石か付くか付かないかで確認する事ができる事になります。
尚、1号機の製造銘板が盗難された昭和58年当時、
新たに鋳造された製造銘板が、多度津工場で鋳造されたと勝手に解釈していましたが、
当時の多度津工場には鋳造場は既になかったそうで、発注鋳造先は不明のままです。
<伊予西条保管のDF501号機、製造銘板最新画像>
瀬戸内側、鋳鉄製再鋳造銘板。
鉄成分である茶色のサビが浮き出し。
太平洋側、製造当時のオリジナル銘板。
銅成分である青緑色の緑青が浮き出し。
2005年10月に撮影した時とでは、
瀬戸内側と太平洋側とは入れ替わっていると思われる。
2013年11月 再編・追記
2014年12月 追記