補助汽船に関しても、萩原幹生氏著「宇高連絡船78年の歩み」に詳しく記載されてある。
宇高航路最後の補助汽船となった「たまも丸」、
この「たまも丸」に出航を促されて高松港を後にした時の事を、
今でも鮮明に記憶しています。
ほとんど見かける事はありませんでしたが、
辛うじて2コマのみ撮影していましたのでここに公開いたします。
出航補助中の「たまも丸」と「土佐丸」16便。
季節風により港内へ押し戻されるのを防いでいるのだろうか。
昭和61年1月1日 撮影。
「たまも丸」と「阿波丸」。
宇高連絡船売却開始離岸の前日、「たまも丸」も港内の片隅に係留されていた。
この補助汽船「たまも丸」はJR移行後も船籍港は東京表記のままであった。
昭和63年7月1日 撮影。
TOPページへ
(記憶のDF50)