− 宇高東航路航行の連絡船 −
瀬戸内海は海上交通安全法により、海域ごとの航法がきめ細かく決められている。
高松港を出港した船舶はこの宇高東航路(北行き)を航行して宇野港へ向かうことになる。
宇高東航路は宇野港沖にある、直島・荒神島・葛島の海峡をすり抜ける形で航行するので、
フェリーで渡る事のできる直島は、連絡船を撮影するのには絶好の場所であった。
阿波丸
昭和62年8月8日
伊予丸
昭和62年8月8日
土佐丸
昭和62年8月8日
すべて伊予丸型船と呼ばれている右舷側の撮影であるが、
その微妙な3隻の違いがお解かりになるであろうか?
萩原幹生氏著「宇高連絡船78年の歩み」によると、
船体に掲げられた広告は、昭和58年6月17日の「伊予丸」より開始されたそうだが、
画像でもお解かりのように出入り口は左舷側にしかなかったので
船体に掲げられた広告も左舷側にしか掲示されていなかった。
宇高連絡船晩年の頃、讃岐丸は瀬戸大橋観光船に使用されていた為、
讃岐丸が一般航路を定期船で航行している姿はほとんど撮影できなかった。
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(記憶のDF50)