国鉄が解体され、JRに移行される前日は、やはり宇高連絡船の撮影・乗船にやってきた。
当日はファイナル・クルージングとして土佐丸での瀬戸大橋周遊観光船が企画され乗船した。
DF50の撮影仲間と連絡船・国鉄の思い出を語りながら短い時間を過ごしました。
撮影はすべて昭和62年3月31日です。
国鉄連絡船瀬戸大橋謝恩周遊と銘打った企画のチケット、ほぼ実物大です。
高速船の招待券も付属していましたが乗船はしませんでした。
ザ・ファイナルクルージング、土佐丸が着船する前の第二のりばには、
定期航路の讃岐丸が着船していました。
讃岐丸船体のJNRマーク。
船体の帯は讃岐丸のみ存在していた。
船首に書かれた讃岐丸のネーム。
船体の帯の先端は矢印になっている。
高松第二バースを離岸する讃岐丸。
バウフラスターを駆動させ、方向転換して高松港を出港する。
讃岐丸の船尾。
船尾には船籍港である「東京」の文字があるが、
JR化後、宇高連絡船の船籍は高松になった。
方向転換が終了、エンジンもさらに唸りが響く。
高松桟橋の見送りシーン。
何度この光景が繰り返されたであろうか・・・。
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(記憶のDF50)