宇高連絡船売却離岸

− 「阿波丸」「土佐丸」「伊予丸」 最後の出航 −



離岸前日の連絡船

瀬戸大橋が開通後、売却離岸開始を前日に控えた阿波丸(奥)と伊予丸。

手前は観光船で延命した讃岐丸。

昭和63年7月1日、高松港にて撮影。


昭和63年4月10日に瀬戸大橋が開通し、

観光船として残された「讃岐丸」以外は不要となり、

しばらくの間は高松港と宇野港に係留されていた。

その後、3隻の売却先が正式決定し、

昭和63年7月2〜4日の3日間にかけて売却離岸のセレモニーが行われた。

「阿波丸」と「伊予丸」は長崎に本社があった、「ハヤシマリンカンパニー」に売却され、

「土佐丸」は新たにクルーズ船と生まれ変わる為に「常石造船株式会社」に売却となった。

当日3日間は「阿波丸」と「土佐丸」の場合は観光船「讃岐丸」で瀬戸大橋付近まで同航し、

「伊予丸」の離岸は平日(月)でもあり、「讃岐丸」での船上見送り航海は行われず、

高松港で停泊中の「讃岐丸」を船上見送りで開放された。(要・高松入場券)

「阿波丸」と「土佐丸」の「讃岐丸」での船上見送り航海では、

瀬戸大橋を右周りのコースと左周りのコースを設定されていたが、

両日ともに右周りのコースで船上見送り航海が行われた。


7月2日、高松港出航。
− 阿波丸売却離岸 −

7月3日、宇野港出航。
− 土佐丸売却離岸 −

7月4日、高松港出航。
− 伊予丸売却離岸 −


売却された各船もその後は波乱万丈、

「土佐丸」はクルーズ船「サウンド・オブ・セト」として生まれ変わるも、

バブルの崩壊も手伝い長続きせず海外へ売却。

(もともとあの地でクルーズ船が成り立つとは思っていなかったが・・・。)

「阿波丸」「伊予丸」に関しては、古川達郎著 「鉄道連絡船のその後」によれば、

ハヤシマリンカンパニーが倒産後、あちこちに「たらいまわし」されている。

長崎に係留されていると思っていたはずの「阿波丸」と「伊予丸」が、

その後、小豆島沖に停泊している姿を見て当時はなぜだかわからなかった。

最終的に4隻が海外へ売却されてしまうわけだが、

船舶の寿命は結構長いわりには日本から海外に売却された多くの船舶では、

事故や災害に巻き込まれ、廃船になった船もあります。

海外に売却された宇高連絡船4隻の内、残念ながら伊予丸は廃船になったそうですが、

残る3隻は今でも元気に活躍しているそうです。


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(記憶のDF50)


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