撮影には迷惑だった跨線橋からの記録

    - 多度津駅跨線橋からの広告塔 -


    多度津駅跨線橋からの撮影はとても良い場所であったのだが、

    バックの風景の中に広告塔が建設され、

    とても残念な風景になってしまったという気持ちは、

    鉄道写真をやめた今でも変わらずに鮮明に記憶されている。

    多方面で公開されているDF50の写真や画像を拝見すると、

    いかにこの広告塔が入り込まないように撮影・編集している事がうかがえる。

    この多度津駅跨線橋も老朽化の為、平成30年3月26日をもって閉鎖、

    新跨線橋へ移行した。(栄町地区緊急避難路)

    旧跨線橋は解体へと向かう訳だが、信号設備も兼ねている為、

    JR側としては簡単に撤去とはいかないそうである。


    273レDF50565

    DF50565号機牽引273レ 昭和55年1月 撮影。

    広告塔建設前。

    多度津駅の跨線橋では、標準レンズで撮影するこの風景が一番好きだった。


    191レDF501

    DF501号機牽引191レ 昭和56年6月 撮影。

    広告塔建設中の頃。

    建設中であることは後日気づいた。


    191レDF501

    DF5060号機牽引171レ 昭和56年10月 撮影。

    4か月後、広告塔が完成後の初めての撮影。


    191レDF501

    DF5056号機と26号機 昭和56年10月 撮影。

    多度津に到着した280レ、56号機と172レ、26号機の貨物入れ替え待機中。

    このような背景になろうとも、シャッターを切らねばならない使命感はあった。


    koukokutou

    昭和60年8月 撮影。

    初代広告塔西側からのアップ、もちろんトリミングはしていません。


    宣伝カー

    昭和60年8月 撮影。

    このような宣伝カーもありました。

    現在でも宣伝カーがあるのかどうかは不明。

    撮影する対象がなくなった当時、

    フィルムコマを持て余していたので撮影していました。



    この広告塔の会社が一体どのような会社なのか、

    当時はただの迷惑な広告塔というだけで全く気にもなりませんでした。

    ネット時代になり、ちょっと検索してみれば、大体の事は分かるようですが、

    この会社自体のサイトはありません。

    大変失礼なのですが、この会社が今でも存続し、

    この場所にあるのがある意味非常に意外です。(笑)

    現在の広告塔は代替わりし、文字がローマ字に変化した事と、

    電化された為、非電化時代のすっきりした多度津駅構内の風景も消滅したので、

    今はあの頃ほどこの広告塔は目立たなくはなっている。


    RM LIBRARY191巻の「“F級”ディーゼル機関車」16頁に跨線橋からの写真があり、

    日付が1981年(昭和56)年8月となっているが、

    この日付だとこの広告塔は建設中か、ほぼ完成している頃だろう。

    日付を明確に記録した者にとって、何気ない間違い探しは楽しい。


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    (記憶のDF50)


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