現在、「へそっこ公園」になっている場所はDF50が現役当時、
池田通運の荷役場となっていた。
貨物用の引込み線やセメントサイロも存在し、
大阪セメント運搬車も出入りしていました。
昭和59年3月 撮影。
現在、「へそっこ公園」の円形ステージより
駅舎側からもう少し奥へ入ったあたりだろう。
この時は多くのセメント運搬車が駐車していた。
池田通運の事務所や国鉄乗務員の詰め所もこのあたりにあった。
昭和59年3月 撮影。
ホームから乗務員専用の踏切を渡ったあたりから西側を撮影したもの。
駅舎の近くには屋根付の荷役場があり、
フォークリフトが盛んに作業していたと記憶する。
DF5050号機牽引282レ 昭和57年5月 撮影。
大阪セメントのサイロは2基あった。
ホームにツツジが咲いていたのでこのアングルで撮影したのだろう。
この位置に停車する280レ・282レはかなり撮影したが、
このアングルで撮影していたのは他に一度あっただけだった。
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(記憶のDF50)