交通科学博物館は2014年(平成26年)4月6日に閉館。

DF5018号機は移動して、旧津山機関区に保管となり、

「津山まなびの鉄道館」として、2016年(平成28年)4月2日にオープンし公開されています。


損傷したDF5018

交通科学博物館に保存されているDF5018が自然走行して脱輪、

損傷しているとの報告を受け確認にでかけた。

詳しい内容については今後の調査対象として、

まずは損傷部分をご覧ください。

また、故意に歪められたと思われる、

1エンド運転室側扉手摺りも合わせて報告いたします。


2014年(平成26年)4月6日に閉館した交通科学博物館、

脱輪したのは、撮影した2006年以前に発生したようだ。

秋の閉館イベントで、DF5018号機の車内公開に参加、状況を確認してきました。

外観・室内とも綺麗に塗装されていましたが、

車内の煙道はかなり腐食していました。

また、以前より気になっていた機関・主発の載せ替えが、

車内の各銘板の製造番号より、以前は41号機に積載されていた物と確認できました。

昭和56年6月、41号機の全検の際に取り外した主機及び主発を、

同年8月、18号機の全検で使用している。

尚、載せ替え前の18・41号機の機関・主発は、

双方とも新製時に搭載された機関・主発ではない事も追記しておきます。

レールロード社「DF50」では、

多度津工場での機関・主発の振り替え(載せ替え)は行われていないと記載されているが、

機関・主発の振り替え(載せ替え)は以前より定期的に行われていた。


交通科学博物館のDF5018・2エンド

この画像からでも太平洋側スノウプロウ取付け台座に損傷を確認できる。

保存された18号機の良い所は、2エンド側のジャンパ線が残されている点だろう。

中途半端な動態保存の1号機より、

生き生きとしているように見えるのは私だけだろうか。


損傷1

2エンドの太平洋側の損傷部分を真正面から。


損傷2

自然走行し、車止めのない線路から脱輪したらしい。

スノウプロウ取付け台座がかなり歪んでいる。

小石は以前撮影した写真にはなかったので、誰かがいたずらで置いたようだ。


動輪車止め

現在の2エンド側には車止めが設置されており、

脱輪後に設置されたのであろう。


損傷1エンド

1エンドの太平洋側。

僅かだがこちらにも損傷が見られる。


脱輪走行痕

損傷2エンドの線路先アスファルトには、

脱輪後の走行痕跡と思われる箇所が残っている。

閉館イベントの車内公開時に確認して撮影。

自走については、阪神淡路大震災と関係がありそうだが、

当時はそれどころではなかったので、因果関係は不明。



< 津山へ移動後、公開時点での確認 >

津山での公開初日に損傷部分を確認しましたが、

当然でしょうが、予想通り損傷部分はそのままでした。

津山での損傷部分

残念ながら扇形庫の中に入る事ができないので、

2エンドの確認は建物の外からの確認となった。

駐輪場からなんとか窓越しに確認できるのがやっと。

ステップに巻きつけられたチェーンがDD13方向に延びているのだが、

窓越しから見るだけではよく分からなかった。


津山での床下配管

尚、津山へトラック輸送に障害となる取り外された

元ダメ管・釣合管の一部は、元通り復元されています。

バーナーで切断されていたようなので復元を心配していました。

この角度から見ると、配管はこんなに歪んでいたのかと思えます。

津山へトラック輸送時点から垂れ下がった電源コードがあり、

弁天町で2013年10月行われた室内公開使用した、

車両内部を照らす電源コードなのかもしれません。



< 1エンド運転室側扉手摺りの損傷 >

弁天町から津山へ移送する時に気が付いたのだが、

1エンド運転室側の扉手摺り2本の下の部分が、大きく広げられているのを確認した。

また、これも最近報告があったのだが、DD54も同様に手摺りが歪められている。

どうやら、運転室への入り口へ設置した階段に要因がありそうだ。

ネット上にある数々の画像を見てみると、

第二展示場に屋根を取り付けた頃に損傷しているようだ。

屋根を取り付けた後には、運転室への入り口への階段の高さも変化しており、

これに伴い、何か不都合な事象があり、手摺りを広げたと推理する。

いずれにしても、これは交通科学博物館側の勝手都合による損傷なので、

今後、交通科学博物館を運営していた、

「交通文化振興財団」が全額負担で現状復帰させるべきであろう。


津山搬入

津山搬入中のDF5018号機。

ご覧の通り、手摺りが「ハの字」に湾曲されてしまっている。

何かにぶつけたのなら、車体も損傷するレベル。

あきらかに、故意に広げられているだろう。



< 参考:交通科学博物館での公開初日の撮影 >

DF5018交通科学博物館開館当日

交通科学博物館でのDF5018公開初日の撮影。

当時の運転室の立ち入りは2エンドであった。

2エンド側にある屋根へ上る梯子の関係で、

車両と階段にかなり隙間があり、渡板が設置されている。

当然、この時点で1エンドの運転室手摺りの損傷はなかった。


54交通科学博物館開館当日

こちらも交通科学博物館でのDD5433公開初日の撮影。

拡大スキャン画像では確実に判断できないが、

この時点ですでに手すりは曲げられているようにも見える。



その他、余談ですが、開館当日、津山での現地案内板とリーフレットが、

一部間違っていたのですが、早急に対応なされありがたい限りです。

ただ、各鉄道雑誌では「津山まなびの鉄道館」の紹介で、こぞって最終配置を高松と記載し、

さらには「Jトレイン」という雑誌のVol.62では、

何の検証もせず、リーフレットの全ての間違いをそのまま転載してしまっている。

廃車年が隣のSLと同じになっている事に、何の違和感も感じないのか?

全くのド素人の編集記事に、ただ呆れるばかりである。

また、ネット上では、当時を実体験している世代にもかかわらず、

最終配置場所を高松と思っておられる方が多いようで、

事実誤認を拡散するのでなんとかしてほしいものですね。


2007年2月 記
2014年1月 追記
2014年4月 追記
2016年4月 追記
2016年5月 追記


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記憶のDF50


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