2エンド側では、場内のコンプレッサーより元ダメ管へエアーを供給し、
汽笛を鳴らさせて頂くサービスの恩恵を受けました。
久しぶりのゴーマルの声に鳥肌が立ちました。
下回りの塗装もきれいで、元ダメ管は銀色に塗装され、
コック類も用途にわけて塗装されています。
DF501号機が保存されて一番変化があるのは屋根上であろうか。
四国型特有の雨樋が撤去され、妙な突起があるのがわかる。
レイルロード社Vol.4での平成3年の写真では雨樋は現役時代のままであり、
それ以降に撤去されたのであろう。
その他、瀬戸内側ラジエタカバーのみ、下部がRのついたものになっている。
これも、保存後に変更されている。
公開された、1エンド運転台。
開場から閉場まで運転室への見学の列は途切れることなく、
私が運転台に入ったのは閉場近い頃だった。
運転室の公開が終了した1エンド側。
毎年、定期的に公開なされた職員の皆様に感謝。
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記憶のDF50